甘いだけなんていやだね<サンプル>

 レイプされた。
 紫原敦にだけは知られてはならない。
 放課後の旧校舎、空き教室に女の名前で呼び出された。いつものことだと軽い気持ちでドアを開けたら男が三人立っていた。そろいもそろってたちの悪そうな、軽薄そうな目つきをしていた。
 大した言葉もなくいきなり服に手を伸ばされて、うんざりしながら拳を握りしめた。
 生ぬるい環境で育った高校生がたったの三人、簡単に片づけられる程度に自分は暴力に慣れている。まずは目の前の男でも殴りつけようかと思ったところで次のようなセリフを言われて手が止まった。
 紫原敦に何があってもいいのかい? 氷室辰也サン。
 冷静であった頭の中が途端に乱れた。つまりいま自分が抗えば彼らは紫原に危害を加えると言っているのか。
 他の誰でもない、紫原敦に。
 紫原は非力ではない、むしろ逆だ。あそこまで純粋な力を持つ男は他に知らない。だが、殴る蹴るのやりとりに場慣れしているかというとおそらくそのようなことはない。彼は、力があるがゆえにそういった場面を避けてきたのだと思う。
 それでも己に向かう手や足ならば振り払えはするだろう。だが、例えば刃物でも使われたら? 重い鈍器でも使われたら? それであの男が一生コートに立てなくなったら? 駄目だ、無理だ、あの男には誰も悪意の手で触れてはならないのだ、才能の塊なのだ。
 輝かしい天才なのだ。傷ひとつあってはならない美しい宝石なのだ。
 紫原敦に何があってもいいのかい、自分から戦意を奪うにはその言葉だけで充分だった。彼らがなぜ紫原の名を出せばこちらが言うなりになるなどと把握していたのかは知らない。
 三人に代わる代わる犯された。彼らはこちらの身体を傷める意図はないようだった。ただ単純に犯した。口に突っ込まれたときに思わず相手の肌を引っ掻きはしたが、なんのダメージも与えないそれはかえって相手をよろこばせただけであったし、それ以上の抵抗などはできなかった。
 セックスに慣れていないわけではない。レイプされたことがないとも言わない。
 ただ、紫原敦に何があってもいいのかい、その言葉が頭の中をぐるぐると回ってひどく混乱した。まともな思考はどこかへ飛んだ。幾度も幾度もカメラのシャッターを切る音が聞こえたがそれさえも意識から遠く、顔を背けるべきなのかと思う余裕もなかった。
 暴行の時間はそれほど長くはなかったのだと思う。二時間か、その程度だ。
 しかし自分にとっては長かった。抵抗を言葉で奪われ非難の声すら上げられず、解放されたときにはしばらく動くことさえできなかった。ひとり取り残された空き教室で、車に轢かれた野良猫みたいにただ床にへばりついていた。
 一時間近くそうして倒れたまま荒い呼吸を繰り返し、多少は落ち着いたころになんとか身体を起こしのろのろと服を整え、のろのろとトイレで後始末をして、寮に戻った。
 女に呼び出された程度ならばすぐに片づくだろうと、部活を休むという連絡は入れていなかった。無断欠席だ。
 寮の階段を怠い足で上がりながら自分の手で腕に触れ、脚に触れ、痛みを確かめた。大した怪我はない、精々が擦り傷程度だろう。ひどい違和感が残るがそれだけで、こんなものは一晩寝ればすぐに忘れる。犬に噛まれたと思えばよい。
 ただし、犬に噛まれたのだと紫原敦に知られてはならない。
 名前も顔も知らないような、彼ではない男に組み敷かれたのだと知られてはならない。
 露呈してしまえば破綻する。やわらかなわたあめみたいなふたりの関係が破綻する。甘く抱き合って緩い言葉を交わして肌を重ねる、この何よりも大事な安寧が消える。
 駄目だ、無理だ、そんなことになれば自分は壊れる。紫原を失えば自分などは抜け殻だ。
 今日は、今日だけは彼に会いたくない。
 廊下を辿って自室に辿り着くと、しかしそこにはいま一番会いたくない男、紫原が長身をドアに凭れさせて立っていた。
 ぞくりとした。この男は聡いのだ。綺麗な色の瞳ですべてを見抜く。誤魔化しも嘘も何もかも。
 暴くな。
 紫原は、いつものようにさりさりと菓子を噛みながらこちらに視線を向け、部活来なかったけどさぼり? とまず訊いた。それから、顔を引きつらせている自分の様子を見てひとつ瞬いて、少し首を傾げて、普段通りの甘ったるい声で言った。
「室ちん、なんか変な顔してるし」
 部活に出なかったから心配したのだろうなというのは分かった。どうしてもという理由がない限り自分は毎日体育館に通うし、外せない用事があって休むのならば必ず連絡をする。わざわざ様子を見に来て、しかも部屋の前で待ったのだからこの男は優しいのだと思う。思うが、いまはその優しさが息苦しい。
 近づかないでくれ、見ないでくれ、放っておいてくれ。
「変な顔なんかしてないよ、アツシ」
 にこりと笑ってみせた。巧くいったはずだ。しかし、残念ながら紫原は、聡い。
 だから察しなかったはずはないだろう、自分の動揺を、自分の怯えを。それでも紫原はそれ以上の言葉は使わず、長い腕を伸ばしてきて無造作にこちらの髪を撫でた。
 びくりと身体が強張った。空き教室で身体中を這い回ったてのひらの温度を不意に思い出した。男の荒い呼吸を、開かれる感触を思い出した。もちろんこれも紫原に分からなかったはずはない。
 紫原は、丁寧にこちらの髪をとかしながら、だが、特に追及する気配は見せずに言った。
「髪、ぼさぼさ。氷室辰也の名が泣くよ。お風呂行く? それともごはん行く?」
「いや……疲れているからあとでひとりで行くよ。ありがとう、アツシ」
 優しくするな。
 もう一度微笑んでおいた。何か言うだろうかと思った紫原は、しかしそれ以上は特に何も言わず、ふうん、と返してこちらに背を向けた。
 廊下の奥に消えていく長身の背中を見ながら溜息を漏らした。絶対にばれては駄目だ。絶対にばれては駄目だ。
 紫原敦に何があってもいいのかい、そんなセリフで抵抗を封じられたことも当然ばれては駄目だ。
 甘くあたたかい繭みたいな関係、このしあわせを守るために。


(中略)


「室ちん。力抜いてて。あんまり広げてないから変に緊張してると切れるよ」
 尻に性器を押し当てられて反射的に身体を強張らせる自分に、紫原は淡々とそう声をかけてきた。待ってくれと懇願しても無駄であることは分かったので、必死に深い呼吸を繰り返して力を緩めた。
 紫原は自分のその表情を真っ直ぐな眼差しで見下ろしながら、こちらの片脚を抱え、じりじりと性器を押し入れはじめた。さすがに息が詰まった。この男はずいぶんなサイズなのだ。力を抜けと言われてもどうしても肌が引きつる。
「あ……ッ、は……!」
 それでもローションのぬめりで尻は従順に性器を飲み込んだ。ほんとうに切れるかもしれないと思ったがそのようなことはなかった。
 そのまま、ずるずると根本まで突き刺されて掠れた声が漏れた。
「ああ! アツシ……ッ、無理を……無理をするな……ッ」
 紫原はこちらのその声に動きを止めることはなかった。奥までぎっちり埋め込んだ位置で、形を確かめさせるように腰を揺すり上げ、仄かに笑った。
 整った顔、頬にかかる長い髪、この男はほんとうに美しいと思う。こんなときでさえ目を奪われる。見知らぬ男に犯された場所で、いかれた男に刺し貫かれている、こんなときでさえ。
 惚れているのだ。嵌まっているのだ。冷めてしまえれば楽になれると分かっているのに。
「無理? 無理なんてしてないよ? 室ちん、上手に咥え込んでるし。痛くないでしょ、うっとりした顔して」
「でかいんだよ……! 他の男と、一緒に、するな」
「他の男の一緒にできないくらい、室ちんはオレが好きなんだよね。知ってるよ。じゃあ、動くから」
 やめろ、待て、と言う余裕はなかった。最初から強く突き上げられて派手な声を散らした。
「ああ……ッ! や……ッ!」
 抗おうと思う両手は床から上がらなかった。まるで釘でも打ちつけられているかのように少しも動かなかった。抱えられた脚で藻掻くこともできない。まるでこれでは紫原敦への供物だ。
 いや、あるいはほんとうに自分は供物であるのかもしれない、それこそが快楽であるのかもしれない。
 美しい男に翻弄されて涎を垂らす。その男の執着が、執着という名の恋情が自分に向いている限り、嬉しいのか。


(サンプル終わり)