プレリュード

 案内を頼んだ係員に示された座席の隣、通路横のシートに、彼が座っていた。
 はじめはただ呆気にとられて、ブラック・ジャックは柄にもなくその横顔をぽかんと見詰めてしまった。
 開演間際のコンサートホール、座席はステージ正面、通路横から二番目。
 立ち去る係員に礼を言うのも忘れた。
 いや、偶然にしたってたちが悪すぎる。
 数秒の空白のあと、そうか、踵を返せばいいのかと、思い付いたときには遅かった。
 不自然な気配に気付いたのか、彼の視線がちらりとこちらに流れた。まず胸のあたりに当たった。すっと襟元から顔に上がって、そこでほんの一瞬だけ、ほんの僅かに目が見開かれた。
「おやおやブラック・ジャック先生。奇遇ですね」
 声が聞こえたときには、もういつも見る通りの鉄壁の薄笑みを浮かべていたが。
 取り敢えず急いで取り繕った表情は、まあ随分と不機嫌だったろうと思う。
「…なにをしてるんだ? ドクター・キリコ」
「なにをしているもなにも」彼は少し目を細めて笑みを深めた。「コンサートに来て音楽を聴く以外に何をするんです? ピアノを聴きに来たんですよ。あなたこそなにを? ショパンがお好きでしたか」
「…患者だったんだ」
「ああ。彼が今回復帰できたのはあなたのおかげ? それはそれは」
 彼はまるで緻密に計算された優秀な機械が台本を読み上げるような調子で言うと、座っていたシートからゆっくりと立ち上がった。
 左腕にコートをかけたまま、右手のてのひらを上に向けて、右隣の空席を示す。なんだってこの男はこうも、実に嫌味なくらいに優雅な所作を知っているのだろうかと、ブラック・ジャックはやや鼻白む。
 低く騒つくクラシック・コンサートの会場に、これほど似合わない男もいないし、これほど馴染む男もいない。
「どうぞ。こちらの席なんでしょう?」
「…いや、帰る。別に来たかったわけじゃない。チケットが送られてきたし、たまたま近くで一つ仕事があったから、ちょっと立ち寄っただけだ」
「ピアニストがチケットを送ってきたのならば、それは聴くべきでしょうね。せっかく立ち寄ったのならどうぞ。気になっていたから来たのでしょう?」
「…席をかえてもらおう」
「この席はステージから見えます。違う人間が座っていたら、あなたをわざわざ良席に招待したピアニストが可哀想だ。だいたいこの開演が差し迫った時間に? 無理ですよ」
 最後に会ったときよりも少し髪が伸びたかもしれない、と思う。
 青みがかってさえ見える美しい銀髪、無造作に見せてはいるが本当に無造作だったらこうも綺麗ではないのだろう。その髪の色を敢えて映えさせるために選んだような、仕立ての良いスーツの色は暗い青、コートも青。狙い過ぎだ。
 多分相当整ってはいるのだろうが鋭利過ぎる顔立ちも手伝って、どんなに甘い微笑を浮かべて見せたって到底優しそうでも穏やかそうでもない、引っくり返したって人畜無害には見えない。
 その甘い毒のような笑みを浮かべた唇が、揶揄うような言葉をさらりと吐く。
「そんなに私のことが気になります? 隣に座っているだけで音楽も聴こえなくなるほど?」
「…」
 クソッタレ。
 横目で睨みつけて、立ち上がった彼の前を横切り、少々乱暴な動作でシートに収まった。まるで丁重にエスコートされたような錯覚が過ぎって気分が悪い。
 さっさと背を向けてしまえばいいのに、ちょっと挑発されると何故かあっさり乗ってしまう。他の人間が相手ならば軽くかわせるのに。
「ショパンを弾くピアニストは多いですが」隣にゆっくりと腰をおろしながら、彼は睨まれたことになどは気付いてもいないかのような飄々とした口調で言った。いつものことだ。「彼はそのなかでも私が最も好きなショパン弾きです。一年ほどブランクがあったので心配していました。ファンとしては先生に感謝をしなくてはいけないのかな」
「…どうして、よりにもよっておまえの隣の席なんだ」
「それはこのあたりが一番良い席だからでしょうね」
「それにしたって隣はないだろう」
「まあいいじゃないですか。そういう運命なんですよ。私とあなたは出会ってしまう運命なんだ、逆らっても仕方ない」
「…」
 そういうセリフを平然と吐くな。
 思わず横目で再度彼の横顔を睨みつけ、それから、呆れた溜息をひとつ洩らしてブラック・ジャックはまだ暗いステージに視線を投げた。シートに深く凭れて、知らずに強張っていた身体の力を抜く。
 その通りだ、気にすることもない。隣に誰が座っていようと目的はただ音楽を聴くこと、それだけ。彼とて贔屓のピアニストの復帰コンサートを最良の場所で聴きたいだけ。
 動揺するのは馬鹿げている。
 肘掛に腕を投げ出したところで、開演を告げるアナウンスが鳴った。騒めきが止み、客席のライトがゆっくりと落ちる様子をぼんやりと感じながら、ブラック・ジャックは礼状と共にチケットを送って寄越した律儀な患者の姿を待った。




 最初は手が触れた。
 曲はワルツ第七番、作品六十九の二。
 偶然だと思って、手を引こうとした。彼の席との間にある肘掛を、占領していて悪い、とさえ思った。
 引こうとした手を、握り込まれた。手の甲から包み込むように、ぎゅっと、明白な意図を持って。
「…」
 咄嗟には理解できなかった。この男は何をしているんだ?
 跳ね除けることも思いつかず、もしかしたら気分でも悪くなったかと思って、照明の落ちた客席では殆ど見えない隣の彼の顔に視線を向けた。彼は、真っ直ぐにステージを向いたまま、更に重ねた手に力を込めた。
 指と指の間に、彼の長い指が割り込んできて、まるで拘束するように握り締める。かと思うとその長い指が、今度は爪と皮膚の境目やら関節の裏側やら指の股やらを撫でる。
「、」
 これは、或いは性的な意味合いを持つのか、いやまさか、と思ったところで彼のその指は離れた。
 そのまま腕が伸び、次にシートに座る太腿に手が触れた。
 鷲掴むように力を込められて、思わず声が出た。
「おい」
「しっ」それまで前を向いていた彼の顔がひょいと近づき、耳元に囁かれた。「お静かに。演奏中ですよ。ほら、前を向いて、大人しくしていなさい」
「…、」
 まさか、などと言っている場合ではないのか、これは。
 会場に流れる物悲しい短調のワルツ。
 直接吐息を吹き込まれて不意にぞくりと鳥肌が立つ。
 強く指を立てた行為を打ち消すように、彼の手は優しく動いた。膝から脚の付け根までをゆっくりと繰り返し撫でる。それでもまだ信じ難い気持ちでただされるがままになっていたブラック・ジャックは、その手が徐々に、内腿に移動してきたところでようやく彼の手首を左手で掴んだ。
「おい。…おまえ、こういう趣味があるのか」
 潜めた声は軽やかで哀しげな音符の波に紛れた。
「さあ」答える彼の唇が、微かに耳朶を掠めた。「ただ、あなたを見ていると、何故かこういう気分になりますね。ほらもう、前を向いて、喋らないで。周りに迷惑でしょう?」
「迷惑って」
「あなたが大人しくしていればいいだけのことですよ」
 不埒な動きを止めさせようと掴んだ彼の手は、それを全く意にも介せず、手首を強く握られたまま身勝手に奔放に動いた。引き剥がそうとするが、それも無駄。こんなに力の差があるとは思っていなかった。
 彼の長い指先が、じっくりと膝の内側から腿の内側を辿り、股間に伸びた。
「っ、」
 思わず立ち上がろうとしたその脚を、ぐっとシートに押さえ込まれた。
「駄目ですよ。曲の途中で席を立つなんて失礼にもほどがある。だいたい、私は退きませんよ、どうやって逃げます? そちら側に座る十人以上の聴衆を、ちょっとすみませんと言って全員立ち上がらせて通路に出るんですか」
「手を…手を離せ」
「いやです。あなたも別に気にしなければいいでしょう? 集中してショパンを聴いていらっしゃい。今夜はまた素晴らしい調べだ。患者の回復具合はどうです?」
「人を呼ぶぞ…」
「呼べばいいでしょう。私はしらばくれるのが上手いんです。そもそも誰も信じませんよ、男が男の身体を撫で回すなんて」
「…」
 この男。
 耳元に低く言いながら、彼ははっきりと股間に触れてきた。躊躇はなく、むしろどこかしら手馴れた感じさえあった。
 椅子を蹴って立ち上がればいいのかもしれないが、確かに彼の言う通り、曲の途中で一騒動起こすことになるだろう。泣きながら縋りつかんばかりに礼を言ったピアニストの念願の復帰コンサートを、ぶち壊す理由が男から男へのセクシュアル・ハラスメント?
 彼の声は毒入りの蜂蜜のように甘く耳から流れ込んだ。
 多分普通なら、それでも、席を立つ。
「あなたは大人しく座っているしかないんですよ」
 囁かれると、まるでその通りのように思い込んでしまう。
 肘掛を握り締め、唇を噛み、ブラック・ジャックは視線をステージに戻した。仕方がない、そうだ、別に気にしなければいい。彼が飽きるまで放っておこう、男が男の身体を触ったって面白くもないだろうからいずれ気紛れも去る。
「そう、そうやって静かにしていなさい、先生。エライですね」
「…貴様こそ黙れ、変態」
 それも行為のひとつであるかのように唇を触れさせて吹き込まれる声に言い返すと、低く抑えた彼のいやらしい笑い声が聞こえ、それから吐息が離れた。暴言の仕返しをするようにぎゅっと股間を握り込まれ、シートに埋まった身体が思わず強張る。
 気にしない。日頃から顔をつき合わせれば悪態ばかり吐く自分へのちょっとした嫌がらせ。すぐに飽きる。
 そのときに、たとえ、一騒動起こそうともコンサートをぶち壊そうとも、席を立っておかなかったことを、死ぬほど後悔する羽目になろうとはブラック・ジャックも思ってはいなかった。





 ただ、信じられない、嘘だろうと、そんな考えばかりが頭を占めた。
 まともな思考力は既に飛んでいた。この事態を、どう収めればいいのか、どうやって逃げればいいのか、考える余裕もない。判らない。
 とにかく声を殺すこと。
 それくらいしか判らない。
 彼の指の動きは実に巧妙だった。何処で何をしてきたらそんなになるのだか、こいつはいったい何者なのだか、全く理解できない。ああ、判らない。
 どうせ飽きる、気にしないで放っておけなどと、高を括っていた自分が馬鹿だったか。
 けれど、まさかこんな場所で、しかも彼の指に反応するなんて。
 ゆっくりとジッパーが下ろされ、そこに彼の長い指が入り込んできたときには、息が止まるかと思った。
 彼のコートを上から被され、暗闇でのいかがわしい行為を隠している。
「…ッ」
 狭い隙間から忍び込んだ指が、下着を引き摺り下ろそうと動いた。咄嗟に、被せられたコートの上から両手でその手首のあたりを掴み、止めさせようとしたが、やはり無駄だった。
 今更誤魔化しようもなく起立した性器に直接彼の指が触れ、その感触に思わずびくんと身体が跳ねた。
「、ア」
 縺れた頭に聞こえるのは美しいショパンの旋律。いまや曲名すら判らない。
「声を出さないで」鳴り響くフォルテシモに紛らわすように、前を向いたまま彼がごく小さな声で囁いた。「ばれますよ。私がここで手を引いたら、あなたはピアノを餌に一人で楽しんでいる変態ということになる」
「…、」
 変態? だからそれは貴様だ。
「もう少しだけ我慢なさい。この曲が終わるまで」
 意味深に言って、彼は指先でつうと性器の裏側を下から上へ撫で上げた。そのまま張り詰めた先端を握り込まれ、声も出せずに鋭い吐息を散らす。
 いったいどうなっているんだ? どうしてこんなことになっているんだ?
 混乱さえもぼんやりと意識の向こう側に霞んだ。自分の股間を弄ぶ男の腕に爪を立て、シートに埋まる身体を小刻みに震わせて、思考を白くしてただ迫る快感に必死で耐える。
 先端の薄い皮膚をじっくりと指の腹で撫で回したあと、彼は勃起した性器をやんわりと掴み、上下に軽く擦ってきた。その露骨な動きに、ブラック・ジャックはきつく目を瞑って彼の腕を掴む指に力を込めた。
「…、めろ…ッ」
 涙が滲んでいるのが自分でも判った。何がどうなってこんなところで男にいいように性器を引っ掴まれて、泣き出さなければならなくなったのか。
「もう少しですよ」
 僅かに笑みを含んだ小さな声が、密やかに言った。
 もしも彼にその意図があったら、おそらく抵抗も出来ずに弾けてしまうだろうと思ったが、彼はそれ以上は強い刺激を与えずに、優しくゆっくりと性器を上下に擦り続けた。零れる寸前まで水を満たしたグラスを揺すられるような、もどかしい、切羽詰った時間を、唇を噛み締めて堪えた。
 そのまま、どのくらい経ったのだかよく判らない。
 それまで一瞬も途絶えることなく股間で蠢いていた彼の指が不意に抜かれ、ああ、ピアノの音が止んだ、とぼやけた意識で思ったそのときに、左の二の腕のあたりをがっしりと思い切り掴まれた。
 え、と思う間もなく隣で彼が立ち上がり、その腕を引っ張り上げられた。
 食い込む指に抗いも出来ずにシートから立った。彼は腕を掴んだまま、有無を言わせぬ強引さで薄暗い会場を出口に向かった。
 右腕で抱えた彼のコートで張り詰めた股間を隠し、その手に抗おう、或いは諦めて従おうとしたが、どちらにしろ足元が縺れて殆ど引き摺られるような体勢になった。
「どうされましたか」
「連れが急に気分が悪くなった。申し訳ないが、出る」
 左腕を掴む手の左右を変え、彼はまともに歩けないブラック・ジャックの身体を支えるように、空いた片腕を腰に巻きつけた。全く事情を知らないで見れば彼の振る舞いは随分とお優しい紳士的な男のものなのかもしれないが、冗談じゃない、とんでもない。
 係員が開けた分厚いドアから、会場の外に出た。薄暗い空間に慣れていた目に、明るい照明が突き刺さった。
「どこかにお休みできる場所を用意いたしましょう」
「いや、いい。彼は車だから、そこで休む」
「お医者様を呼びますか」
「私は医者だ」
 腰にまわされた腕にぞくぞくと快楽を刺激され、零れそうになる声を必死で飲み込んだ。いつのまにか身体中のあらゆる部分が貪欲に塗り替えられていた。僅かに肌が服に擦れるだけでも、仄かに彼の体温を感じるだけでも、反応する。
「先生、車のナンバーは?」
 甘い声に優しく訊かれて、反射的に答えた。
 答えてから、自分の馬鹿さ加減に気付いたが、遅かった。
 係員に案内されて裏口から出たすぐそこが駐車場だった。腰を抱かれ、半ば引き摺られながら見やった彼の指先に、いつのまに掏り取られたのだかポケットに入れていたはずの車のキーが光った。
「放せ…」
 広い駐車場の真ん中あたり、簡単に探し当てられた自分の車の前で、今更少し抗う。
「もう、触るな。キーを、返して、さっさと、消えろ…」
「幻想即興曲でしたね」彼はあっさりとそれを無視して、腰を抱く腕の力を強めながら、左手で鍵穴にキーを差し込んだ。「最後に聴いていた曲。結構好きなんです。あとはノクターン第二十番あたりも聴きたかったですが、まあ、この際いいでしょう。彼は見事に復活しましたよ、あなたのおかげで今夜のコンサートは大成功だ」
「いや、だ」
「ほら、暴れない。ぶつけて怪我をしますよ」
 かちりと微かな音を立ててドアが開錠されたと思った途端に、後部座席に押し込まれた。乱暴ではないが、強い力でそのまま仰向けに、シートの上へ押し倒される。
 狭い空間で覆い被さってきた彼の胸に両手を付き、押し返そうとするが、彼の身体はびくともしなかった。
「なぜ…」
「私バイクですから。ベッドの代わりには使えないでしょうに」
 何故自分にこんなことをするのか、と訊ねたブラック・ジャックに、本気なのだか誤魔化したのだか彼は頓珍漢な言葉で答えた。
 ベッドの代わり。
 あからさまな意味を含むセリフに思わず青ざめて、もてあます熱く火照る身体を強張らせる。
「よせ…何を考えてる」
「あなたのことを」
 ジャケットのボタンをいとも簡単に外され、リボンタイを器用に解かれ、次にシャツのボタンに伸びた彼の腕に両手でしがみついて抗った。開いたその間に彼の腰を割り込まされてまともに動かせもしない両足で見苦しく暴れるが、狭い車内ではドアやら運転席のシートやらを蹴り付けるだけでどうにもしようがない。
「暴れないで」爪先でガラスを思い切り蹴り上げて、痛みに呻く唇に、今にも触れんばかりに近づいた彼の唇が低く囁いた。「ここで放り出されたってあなたも辛いでしょう? ちゃんと最後までしてあげますから、暴れないで。大丈夫、酷いことはしませんよ。だから大人しくなさい」
「酷い…ことを…もうしてるんだ…っ」
「どうして? 優しくしているつもりですがね」
 あっという間にボタンを全て外され、肌蹴られたシャツの下に、するりと彼の手が滑り込んだ。
 身体中に走る縫合の跡を、彼に見られてしまう、という意識が浮かぶだけの余裕はなかった。
 少し冷たいてのひらに脇腹を強く撫で上げられ、押さえ込まれた身体に震えが走る。両方の乳首を摘み上げられたときには、さすがに恐怖と混乱で目の前が白くなった。
「キリコ…! いやだ!」
「大丈夫。大丈夫ですよ…」
 指先で捏ねるように乳首を刺激しながら、彼が首筋に顔を埋めて優しく言った。まるで怯える子供を宥めるような声だった。ひんやりとした彼の長い髪が、肌に触れてはさらりと逃げる。
 一度殆ど限界まで追い上げられていた身体は、なすすべもなく、いとも簡単に彼の感触に陥落した。
 両足の間に食い込んだ彼の太腿を股間に強く押し付けられ、その部分から、きつく摘まれた乳首にかけて快感の波が鋭く走った。途端に洩れたいつもより高い自分の声に、彼の両腕に食い込ませていた両手を引き剥がして、咄嗟に口を塞ぐ。
 肌を甘噛みされ、それでも抑えきれない喘ぎが零れた。
「ウ…、あ」
「そう。そうやって、感じていなさい」
「…ッ、」
 クソッタレ、変態。
 言い返そうとは思っても、口を開けばあられもない声を上げてしまいそうで、できない。
 自由に身動きも取れないような狭い車の後部座席で、彼は本当にそこを情事のためのベッドの代わりにして、殊更丁寧で執拗な愛撫を施した。指で、唇で、悦楽を引き出すように、堕とすように。
 コンサートホールでの秘めごとよりも大胆さを許された彼の動きは、もう判ったから勘弁してくれと泣き言を洩らしたくなるくらいに巧みだった。容赦なく追い詰め、これ以上はなく追い上げて、その高さで焦らす。違う場所にさえ火をつける。
 特に傷跡を優しく舌で辿られたときには、自分で自分の正気が飛ぶのが判った。
「は、ア…ッ、キリ、コ…や、」
「大丈夫です。あなたは美しいですよ…」
 冷静なときに聞いたらぶん殴っても飽き足りない言葉にさえ意識が眩む。
 身体中の肌を慄かせ、筋肉を引きつらせて、彼の愛撫に応えた。意思の力でどうなるものでもなかったし、そもそもその意思の力を奪われていた。
 薄暗い車の中で、服を半端に肌蹴られて、縺れ合う。
 どうしてこの男は唇に口付けをしてくれないのだろう、と女々しいことを頭の片隅でぼんやり思ったが、肌を這いまわる彼の指に翻弄されているうちに、それさえも忘れて、ただ沈むように彼の紡ぎだす異常な悦楽に溺れた。





「ゴムあります?」
 妙に淡々とした声が耳元に言った。
「え…」
「だから、ゴム持ってます?」
「な、ない…なんで、そんな、もの、持ってるんだ」
 乱れた呼吸に胸を喘がせながら、答えた。彼はすっと顔を上げてこちらを眺めると、それから不意に身体を屈めて間近に顔を覗き込んできた。
 青みがかった、灰色の瞳と、目が合う。思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。
「仕方ないな。じゃあ、取り敢えずなにかクリーム状のものあります? ジェル状でもいいですが」
「…」
「あなた、男に抱かれたことありますよね、きっと。ここを使わせたことは?」
「…ッ、」
 彼の指が、既に服は引き剥がされていた下肢に伸び、後孔に触れた。ぐっと力を込められて、反射的にびくんと身体が跳ねる。
 ない、とは言わない。
「…そうですか」言葉に出せない返答を正確に読み取って、彼はその至近距離にある目を僅かに細めさせた。相変わらず、そこにどんな感情があるのだか、大体それがあるのだかないのだかすらよく判らない目付き。「先生はお綺麗で魅力的だから、女でも男でも放っておくはずはないか。では、遠慮することもありませんかね。ちょっと失礼」
「…おい」
 彼はあっさりと視線を外し、身体を起こすと、運転席と助手席の間に腕を突っ込んだ。助手席に放り出してあった診療鞄を開き、がさがさと漁る音がする。
 彼の手はすぐに戻ってきた。握られていたのは、一パーセントリン酸クリンダマイシンのゲルが入ったチューブ。
「使いますよ。抗生物質なら害にもならないでしょう」
「こんな…ところで、」
「もう収まりませんよ。乾いたところにいきなり突っ込まれるよりはマシだと思ってください」
 左のてのひらに透明なゲルを搾り出し、チューブを助手席に放り投げると、右手の指でたっぷりと掬い上げる。人差し指と中指の、爪先から根元まで塗りつける。その彼の露骨な行為を、ブラック・ジャックは眩んだ目で、呼吸を乱しながら、ただ見ていた。蹴り上げて、殴り付けて、たとえ敵わなくても抵抗すべき場面なのだろうが、もうそんなことを思い付くだけの余裕もなければ、快感に浸された身体には力もない。
 ゲルにまみれた指が視界から消え、それからその場所に、冷たくぬめる感触が与えられた。
「ふ…」
「力を抜いていてください」低い、穏やかな声で彼が言った。「下手に抗うと痛いですよ。使ったことがあるのならばどうすれば気持ちよくなるのかも判っているのでしょう? 素直に感じていたほうがいいです。まあ、言わなくてもご存知でしょうが」
「ア!」
「そう。上手だ」
 入口をぬるぬると弄ったあと、指はいきなり、二本入ってきた。使ったことがないと言えば少しは遠慮するつもりなのだろうかとちらりと思ったが、突然広げられる違和感にそんな思考は弾け飛んだ。
 反射的に竦み上がる内壁を、ゲルで濡れた二本の指がじわじわと解していく。身体の両脇に投げ出していた手を握り締め、てのひらに爪の跡をつけながら、切れ切れの声を上げて彼の指を飲み込む。
「あ、…ウ、んん…ッ」
「そうです。もっと感じて」
「あっ!」
 根元まで捻じ込まれた指は、いったん指先まで抜かれ、すぐにまた深く押し入ってきた。かと思ったら再び抜かれ、また差し込まれ、性器で犯すリハーサルのように出し入れを繰り返す。
 そのやや性急な動きに、身体をがくがくと震わせて、耐えた。彼の指はあっという間に弱点を捜し当て、そこを抉るように指先を幾度も突き立てられると、それだけで果てそうになった。
 多分彼は嫌味なくらいに冷静に測っていたのだろう。ぎりぎりの境界線上で身悶え、肌に汗を滲ませて掠れた声を上げ、彼の指がようやく抜かれたころには、もう、ただ熱くて、圧倒的なものを、その場所に与えて欲しいと、それだけしか考えられなくなっていた。
 ぎゅっと閉じていた瞼を薄らと開けると、自分を見下ろす彼と目が合った。
 例の如く唇の端だけで笑みを作って見せ、彼は、片手で自分の服の襟元を緩め、片手で器用にベルトを外した。必要最小限服を寛げる彼を見詰めながら、どうしてこの男はこうも乱れないのだろう、とぼんやり思った。
 欲望を視線に宿して、好きでたまらないというように手を伸ばしてくるならば、或いは、こんなふうには。
 たとえば、あの男のように。
「…誰と較べてるんです?」ほんの僅かに脳裏にちらつかせただけの考えさえ気味が悪いほどに正確に察して、彼は片方の太腿の裏にまわした手を罰するように軽く肌に食い込ませた。「私の前で身体を開いているというのに、他の男のことなど考えないで欲しいですね。私では物足りませんか? 私とその男と、どちらのほうが好ましいですか?」
「おまえ、は…、氷、の、ようだ…」
「氷のよう? 私はそんなに冷たくはありませんよ。本当につれない先生だ。仕方ない、ちゃんと身体に教えてあげますから、きちんと感じなさい」
「…あ、」
 ぐいと強い力で片脚を持ち上げられ、肩に抱えられた。濡れて蕩けたふしだらな欲求とは裏腹に、咄嗟に抗おうとした身体が、ゲルで綻んだ後孔に熱い先端を押し付けられ、思わず硬直した。
「ほら、力を抜いて。無駄に痛いだけですよ、知っているでしょう?」
「待…て、」
「待てません。入りますよ…ちゃんと飲み込んで」
「や、アア…ッ!」
 シートの上でずり上がって逃げようとしたその肩を、片手で押さえ込まれた。そのまま強引に太い先端をぐっと埋め込まれて、唇から高い悲鳴が洩れた。
 勿論彼はそれで許すほどには甘くはなかった。信じられないくらいの圧迫感にまともに呼吸すらできない身体を折り曲げるようにして、少しの躊躇いもなくじりじりと確実に根元まで押し入ってきた。
「ッ、は…!」
「どうです、氷のように冷たいですか」
 浮いていたもう片方の脚も肩に抱えられ、根元まで入った彼の性器を揺すり上げるように更に深く突き立てられる。喉元まで串刺しにされたような錯覚に、霞む意識が膨張し、声も出ない。
「氷のように冷たいですか?」
 最奥まで咥え込ませたその位置で、腰をゆっくりと揺すりながら、彼が再度言った。ブラック・ジャックは朦朧とする意識を繋ぎとめ、無理矢理掠れた声を搾り出した。衝撃にぎゅっと閉じた瞼からこめかみへ涙が伝う。
「あ、つ…い、」
「そうでしょう? 私はこれで実は熱い男なんですよ」
「ヒ…、あっ!」
 彼は本当に遠慮しなかった。
 硬く、太い男の性器を食い込まされた絶対的な違和感に、馴染むまで待つとか、慣れるのを許すとか、そんな猶予は与えられなかった。互いに楽な位置を探すこともできない狭い空間で、窮屈な体勢を強いたまま、彼ははじめから大きなストロークで潤んだ後孔を穿ち出した。
「アアッ! やめ…」
「ちょっとのんびりしすぎました。もっとじっくり時間をかけて楽しみたいところですが、そんなことをしているうちにコンサートが終わってしまう。駐車場に押しかけてくる大勢の客達にこの姿を見せたいですか?」
「あ、ああ…っ、ウ、」
「大丈夫。観客に囲まれる前までにはちゃんといかせてあげますよ。だから一生懸命感じなさい」
「ン、あ…!」
 彼の言葉は半分くらいは頭を素通りした。
 激しく続けざまに奥を突き上げられたかと思うと、少し引いて、先程見つけられたどうしようもなく過敏な場所をしつこく先端で抉り上げられる。固く閉じた瞼の裏に閃光が走り、自分の唇が撒き散らす淫らな悲鳴さえ遠くに聞こえる。
 熟れきって今にも崩れそうな内壁を、深く掻き回すように繰り返しグラインドされたときには、触れられてもいない性器が殆ど爆ぜそうになった。
「ああ…ッ!」
「随分と感じやすいんですね」焦らすように腰の動きを少し緩めて、彼が低く言った。「いったい誰に教え込まれたのかな? ブラック・ジャック先生の色気はその男の所為なんですか? 憎たらしいことだ。私とどちらが気持ちいいですか?」
「ア…も、キリ、コ…!」
「もう少し我慢なさい…まだ私がいけませんよ」
「は…、アッ、」
 不意に腕を強く掴まれ、身体を横向きにされた。肩から下ろされた片脚を彼の片膝が跨ぎ、もう片方の脚は今までとは逆の肩に担がれたあられもない格好で、組み合わせるように股間をぐいぐいと擦り合わされる。
 一層深く彼の性器が突き刺さる激しい感覚に、思わず目を見開いて、叫んだ。
「アアア!」
「…よく締まるなあ」
 できることならば思い切り首を締めて揺さぶってやりたいくらいに冷静な彼の声が呟いた。
 クソッタレ!
 その姿勢で、過去には知らなかったほどの奥まで何度も強く擦り上げられた。先程までとは違う角度で突き上げられて、恐ろしいまでの悦楽に身体中鳥肌が立った。イカレている、と思った。キチガイ沙汰だ。男に抱かれる、或いは犯されるというのは、こうも圧倒的なものだったのか?
「どうですか?」喘ぐ唇の端からだらしなく零れる唾液を指先で拭いながら、彼が淡々と言った。「あなたの知っている男と、私と、どちらがいいですか? どちらが強いですか? どちらがあなたを狂わせますか?」
「…は、ッ!」
 答えることも出来ずに、ただ首を幾度も左右に振った。狂わせるか? ぬかせ、おれは別に狂いたくなんか。
「…ああ、そうですか」
 その仕草をどう取ったのか、彼の片手が強く腰を掴み、より残酷に肉を抉り出した。声にならない悲鳴を放ち、されるがままに激しく揺さぶられながら、ブラック・ジャックはその鮮烈すぎる快楽に、抗うすべもなく飲み込まれた。





 解放を許されたときにはもう意識も途切れがちだった。
 このまま何もかもを失ってもいいとさえ思うような、あまりにも高すぎる絶頂に追い込まれ、身体がちぎれるほどに背を仰け反らせて彼の手に射精した。
 びくびくと締め上げる肉壁の痙攣をたっぷり味わってから、彼は性器を引き抜き、自分のスーツの胸から抜いたハンカチで覆ってそこに出した。
 中に射精しなかったのはその気にもならなかったからなのか、まさか気遣いなのかは知ったことではないが。
 てのひらで受けた精液もハンカチになすり付け、二人分の欲を染みこんだそれを彼は気のない仕草で助手席に放った。狭い車の中はあからさまな男の匂いが充満していた。別に取り立てて不快でもないが、勿論気持ちのいいものでもない。
「初めてショパンを聴いたのは」彼は自分の服の乱れを直すと、こちらに手を伸ばしながら平坦な声で言った。「マズルカの第五番でした。初めて自分で弾いたのもそう。まあ簡単な、単純な曲のようですが、あれは弾く人が弾くとショパンらしい名曲だとすぐに解るものです。ああいう曲を見事に演奏できてはじめてショパン弾きだと思いますね」
「…コンサート、を、最後まで、聴いてれば、よかった、じゃ、ないか」
 彼の指が、つい今までのとち狂った行為など忘れたかように、優しくシャツのボタンを嵌めていった。座席の下に落とされていた下着と服を穿かせ、ベルトを締め、シャツの襟を立ててリボンタイを首に回す。
 彼と同じように冷めた声で返そうと思ったが、まだ乱れたままの呼吸に言葉が所々でつかえた。彼の指を振り払おうにも、身体に力が入らない。
 リボンタイを結ぶ彼の指先が顎の下に触れ、ぞくりと快楽の残滓が背筋を這った。
「隣にあなたがいましたからね、ブラック・ジャック先生」
 しゅ、とタイが擦れる音がして、彼の手が離れた。
 まあ呆れるほど指先の器用な彼のことだから綺麗に結んではくれたのだろう。
「実は私は隣にあなたがいるだけで、まともに音楽も聴こえなくなるんですよ」
「…おまえは、変態だ」
「ええ、そうですね。変態なんでしょうね。あなた以外の人間からはあまり言われたくないですが」
「…誰が、見ても、変態だ。どうせ、誰にでも、こういうことを、平気で、するんだろう」
「おやおや」
 自分でジャケットのボタンを嵌めようとして、何度も失敗した。指先がみっともなく震えて、言うことを聞かない。
 彼の手が再び伸ばされ、ゆっくりと上からボタンをかけてくれた。忌々しい。
「私はそんなに気が多くありませんよ」充分に甘いのに、低い声には、腹が立つほど感情がない。「そのうえ暇でもないし、そもそも好みにうるさい。余程でなければ自分からわざわざ手を出しません」
「嘘を、つけ。この…からだを、平気で、抱くくせに」
「…あなたは本当に仕方がない人ですね」
 この醜い身体を。
 彼は目を細めてシートに沈むブラック・ジャックを眺めると、両腕を肩と腰のあたりにまわし、ゆっくりとその身体を抱き起こした。
 抗わずに身を起こしながら、やりたい放題やっておいて、今更優しくしたって無駄だと睨みつける。
 平然とその視線を受け止めた彼は、それから不意に、にっこりと笑って見せた。いくら華やかに笑ったところで、鋭利過ぎる美貌に打ち消されて、これっぽっちも優しそうではないが。
「あなたは美しいですよ、ブラック・ジャック先生」
「…、」
 思わず殴り付けようと上げた右腕を、ぱしっと彼の左手で受け止められた。
 屈辱で自分の唇が歪むのを感じる。振り解こうと右腕に力を込めても、彼の左手は全く緩まない。
 更に怒りを込めて睨み上げた彼が、そんなことにはこれっぽっちも怯まない笑みを浮かべたまま、囁くように、言った。
「口付けをしてもいいですか?」
「…ッ」
「口付けをしても?」
「な…、にを」
 つい怒りも忘れてまじまじと見詰めてしまった彼の、冷ややかにさえ見える色の瞳には、勿論相変わらず、感情はない、熱もない。
 何を考えているんだ。
 見詰め合うことに耐え切れず、視線を外して吐き捨てた。
「今更…。好きなように、したらいいだろう。揶揄うな…」
「揶揄ってはいませんよ」右腕を掴んだまま、彼は片手でそっと頬を撫でてきた。「あなたの口から許しを得られないならば、しません。だから、答えてください。口付けをしても、いいですか?」
「散々…やっておいて、今更」
「別物ですから。確かめ合うものです」
「なに、を」
「言っていいんですか?」
 頬に触れる指にびくんと反応してしまってから、その自分に嫌気がさして思い切り眉をひそめる。したいなら、すればいいのに。
 抗うなんて選択肢を与えないまま、強引に、奪えばいいのに。
 頬を撫でていた指が、ゆっくりと顎に移って、軽く押さえられた。掴まれた右腕を引かれ、彼の顔が近づき、唇に吐息が触れた。
 視線を逃がすこともできないその距離で、彼が低く繰り返した。
「口付けをしてもいいですか?」
「…」
「答えなさい、ブラック・ジャック先生」
「…、」
 無意識のうちに詰まる呼吸に息苦しさを覚えながら、唇を開いた。見詰め合うというより、ただ見られる。その目に犯される。
「先生」
「…いやだ」
 答えた声は掠れていた。
 クソッタレ。だから、強引に奪えと。
「…仕方ない」睫が数えられる位置にある彼の目が、僅かに細められた。「では、また次の機会にしましょうか」
 かと思ったら、次の瞬間にはあっさりと彼の体温が離れた。顎を掴む指も、右腕を握り締めた手も、間近に触れた吐息も、捻じ込まれた視線も、いともあっさりと。
 なんだか取り残されたような妙な気分になったブラック・ジャックの目の前で、彼はシートの下に落ちていた青いコートをすっと拾い上げた。そのまま、ロックをかけていたドアを開け、車の外に出た。
 饐えたような濃密な空気が、さっと外気に散った。
「またお会いしましょう。私とあなたは出会ってしまう運命にあるのだから、逆らうだけ無駄です」
 コートを二、三度振り、埃を落とすと、いやらしいくらい優美な仕草で彼はそれを肩にかけた。意識的なのだとしたらこれほどに胸糞悪い男もいない。
 後部座席に座り込んだまま、唸るように答えた。
「…ふざけるな」
「次に会ったときにはあなたはもう、他の男のことなど忘れますよ、先生」
「…消えろ」
 最悪の、変態男。
 言うまでもなく彼はさっさとこちらには背を向け、密集する車の間を縫って去っていった。背の高いその背中が見えなくなるまで睨みつけてから、後部座席のドアを閉め、ブラック・ジャックは再びシートに倒れこんだ。
 身体中に刻み込まれた彼の感触。太い異物を咥え込んだ後孔の違和感が去らずにしつこく神経を逆立てる。
 少しして、バイクのエンジンを吹かす重い音が遠くに聞こえた。戻ってくるかもしれないと微かに思っていたが、まあそんなに生温い男ではないか。
 エンジンの音は何の未練もなく、平然と遠のいていった。その音をぼんやりと聞く頭の隅に、ショパンの旋律が小さく蘇った。
 最後に聴いていた曲。結構好きなんです。
 はじめてショパンを聴いたのは。
 意味のない言葉の羅列さえ脳裏に浮かび、思わず唇を噛み締める。
 口付けをしてもいいですか?
 答えなさい、ブラック・ジャック先生。
 先生。

 クソッタレ。
 いいと言えるわけないじゃないか。
 だって私は。


(了)