カーディナル

 本当は、たまには後を追われてみたかっただけ。
 たまには本気になって欲しかっただけ。
 言えばあんたのことだから、きっと待ってはくれたのかもしれないけどね。

 おざなりにあしらわれてゴキゲンヨウ。
 私の顔を見飽きたなんて言うあんたが悪いんじゃない。


「よーオ、ブラック・ジャック先生」
 それでも、チリの薄暗い細道で声をかけられたときにはさすがに驚いた。
 振り返ると珍しい銀髪が目に入った。見上げる位置に、色素の薄い瞳。
「散々探したぜ。あのお嬢ちゃん、サンチアゴとしか言わねえから」
「……ドクター・キリコ。なんだおまえさん、もう出てきたのかい」
 可能な限り表情は消して、平然と返す。日本語を使うのは何日ぶりか。夕暮れの裏通りには似合わない異国の言葉に、時々通り過ぎる町の人間が訝しげに視線を寄越しては消えていく。
 ハンブルクの空港で引っ張られる姿を見たのが最後だ。患者の様態を訊ねるために連絡を取ったハンブルク国立病院に、ようやく彼が現われたと聞いたのが確か二日前。
 本当に追いかけてきた。多分日本へは帰っていないだろう。
「あんなもん持ってた程度でそう長々と引き止められるかよ」両側に迫る建物の壁に右手を着いて、彼は少し眉を顰めた。「単なる超音波発信機だぞ。なにが過激派だ? 誰が危険分子だ? 冗談じゃねえなあ。だから石頭な上に権力をかさに着た人間は嫌いなんだ」
「おまえさんは人相が悪いんだろうよ。どうせならあと二、三年拘留されてりゃ世の中のためになったのにな」
「一つ確認させろ。公安官にあることないこと吹き込んだのは、おまえだな?」
「さアね」
 精々軽薄に答えて、にやにや笑って見せる。いつもの彼のように。
 まずは病院を大きさの順にあたる。自宅療養の患者でも大抵は病院と繋がる。次のファクターは持ち金。あたりをつけたら近づいて、外れたら次、また次。目立つ容貌は探すのには便利だ。例えば銀髪。眼帯。ダークスーツ。例えば、この傷跡。季節外れのコート。
 そうやって何度も彼を追いかけた。逆だって出来るだろう、その気になれば。
 お互い噂も立たない真っ当な仕事をしているとはとても言えないし。
「がっかりさせるなよ、ブラック・ジャック。せっかく見つけ出したのに」
 大きな左手で右の二の腕を掴まれる。顔を間近に寄せ、彼は唇の端でいやらしく笑った。
 全く感情のない瞳の色。これはそうとう怒っている。そう思うとぞくりと背筋に寒気が走る。
「わざわざチリまで来たんだぜ? おまえさんのことなど放っておけばいいのに、あまりに腹が立って収拾がつかなくてなあ。こんなふうに胸糞悪い気分になったのは久しぶりだ」
「そりゃ悪かったな、おまえさんの患者を横取りしちまって」
「そんなことじゃない。そんなことならいちいちこんなところまで来ない。判るだろ? 卑怯な手段でおれに足止めを食らわせた誰かさん」
 怒らせてみたかったのは自分。目の前に立っても塵のように追い払われるくらいなら。
 むしろ穏やかなくらいに低い静かな声で話すから、おそらく時折横をすり抜ける通行人には彼が怒っているなどとは思えないだろう。掴まれた腕が痛い。これも見た目には判らない。痛がってみせるなんてしない。
 聞きなれない言葉を話す異邦人が二人で話しこんでいる。親しげに顔さえ寄せて。そんなところか。
「使用目的を明確に説明できないようなものを持ってる誰かさんが悪いんじゃないか?」
「質問に答えろよ。おれを檻に放り込んだのは、おまえだな? おれが一切聞く耳も持たずにただ人殺しをすると思った、おまえだな? やるだけのことをやるから待てと言えば大人しく待ったかもしれないおれを、ただの殺し屋だとしか思っていない、おまえだな?」
「そうだ、と言ったらどうするんだ?」
「言ってみろよ。夜も寝ずに探し回った甲斐があるぜ」
 すぐそこにある右目が僅かに細められた。ただそれだけの変化で、凍りつくような、あるいは焼け付くような彼の怒気を肌に感じて、一瞬息が詰まった。恐怖と快感と反発心が一緒くたになって頭の片隅を過ぎる。怒らせた。ざまあみろ、怒った。
 ごめんなさい、そんなふうには思っていない。
「……よかったな、甲斐があって。確かにそりゃあおれだ」
 同じように目を細めて彼を見返す。心底楽しそうに見えるように。
 ねえ、だけど。
 私の顔を見て途端にうんざりするあんたが悪いんじゃない。
 まとわりつくのはやめてもらおうなんて、もう少しマシな言い方は出来ないの。
「正直な男には銀の斧も金の斧も差し上げましょう」
 彼は、更に唇の端を引き上げて、さも嬉しそうに笑った。何を言い返す前に、掴まれた右腕を引っ張られて、そのまま引き摺るように歩かされる。
「おい」
「付き合えよ。せっかくチリに来たからには、ワインを飲まないとな。美味いぜ、チリワインは」
 表通りに出て、日も暮れた雑踏をすり抜ける。彼はまるで昔からここに住んでいる人間のように迷わずまっすぐ歩いた。掴まれた腕を解こうと、少し抗ったが、勿論その程度のことで彼の指は外れない。
 それ以上抵抗するのも見苦しいのでやめた。彼は街の外れにある大して見栄えのしないホテルに入ると、腕を握りしめたまま早口でチェックインを済ませ、適当にワインを二本オーダーしてキーを受け取った。
 本気か? 酒を片手にぐちぐち文句を垂れるなんてガラじゃない。
 ややがたつきのあるエレベータに乗り込まされ、三階まで上る。毛足の短いカーペットの敷かれた廊下を歩かされる。
 殆ど突き飛ばすように部屋に放り込まれて、ついよろめいた。
「ほら、しっかりしろよ、ブラック・ジャック。か弱い女じゃあるまいし」
「…オペで昨日寝てない」
「寝ていないのはおれも一緒だ」
 冷たい揶揄に言い返しても無駄。後ろ手にドアを閉める彼に顎で促されて、肩にかけていたコートをハンガーに吊るす。
 白い蛍光灯に映し出された部屋は、簡素なツインだった。このホテルにしてみればまあ良い方の部屋なのかもしれないが、機能的ではあってもハイセンスではない。相応しいような、相応しくないような。
 彼の頼んだワインはすぐに届けられた。赤、カベルネ。彼の好みではあるのだろう。
「殴るなり蹴るなりすりゃあいいさ」ジャケットを脱いでソファに放り、薄く笑って挑発した。「それでおまえさんの気が済むってなら。なんならついでに毒でも打てばどうだ? まあさすがにこんなところに変死体が転がっていたら、今度こそ永遠に檻の中だろうけどな、おまえさんは、他人の記憶に残りやすい見た目をしてるから」
「殴る蹴るではおまえはさほど傷つかないだろう? その上殺しちまったら楽になるだけじゃないか」
「好きにしろよ。いっそ指でも切り落とすかい」
「おれはおまえがどうすれば傷つくか、知ってる」
 ワインのボトルを二本テーブルに置いて、彼は実に楽しそうに応えた。この男の場合、笑顔は仮面だ。裏に押し殺す感情が強ければ強いほど厚く張り付いて剥がれない。
 彼はゆっくり歩み寄ってくると、真正面で足を止めてまっすぐに視線を合わせてきた。
「傷つけてやろう。おれは人殺しでロクデナシだ。おまえの言葉なんか届かない。そう思っているんだろう?」
「…どうすればおれが傷つくって?」
「犯してやるよ」
 冷たささえ殺した硝子玉のような瞳に射抜かれる。もっと剥き出しにすればいいのにと思う。怒鳴り散らして、殴り飛ばして、踏みつけて。
 ねえ、それでも。
 乾いた表情で背を向けられるよりはいい。まるで意味をなさないよりは、たとえマイナスでも。
「…今更」彼の言葉に思わず引きつった表情を、皮肉な笑みで打ち消して、可能な限りの平静な声で言い返す。「そんなことじゃおれは傷つかない。何度も寝たじゃないか? 今更何をされたっておれは楽しむだけだぜ、そうじゃないか?」
「犯したことはないよ」
「フン、どうだか。えらく強姦じみていたことはあったぜ」
「それでも、おれはおまえを犯したことはない。おまえの、心は」
 彼は目の前で、にっこりと笑って見せた。本当に綺麗な微笑みだった。これほど言っていることと表情とがまるで正反対だと見ているこちらは薄ら寒くなる。
 思わず肌に感じた恐怖を振り払うように、言い返そうと開いた口が、気の利いた言葉を思いつく前に、不意に、彼の腕が身体に絡みついてきた。
 真綿みたいに優しかった。気味が悪いほど。彼の唇がそっと髪に触れ、そのまま耳元に。
「愛しているよ、クロオ先生」
「ッ!」
 咄嗟に、彼の胸に両手を付いて突き飛ばした。本気の力が出た。彼はさすがに少しぐらついたが、すぐに体勢を立て直してこちらを見た。
 犯すって?
 傷つけるって?
 卑怯者。それにしたってそんな残酷なセリフは。
「ほら、傷つくだろ?」彼は微笑みを消さないままで言った。「言ったじゃないか、傷つけると。おれはやると言ったらやる。おまえが傷つけば傷つくほどいい」
「死ね…」
「さあ、楽しめよ。気がふれるほど後悔すりゃあいいのさ」
「死んじまえ…あんたなんか…」
 再度彼の両腕に抱き込まれた。反吐が出るほど丁重だった。心にもない言葉、心にもない慈愛の仕草。
 彼の肩越しに壁の安っぽいリトグラフをぼんやり見つめながら、ただ立ちつくして受け入れるしかなかった。怒らせてみたかったのは自分。おそらく彼は本当に、やると言ったらやる。
「愛しているよ」
 強張る背筋を彼の大きな手のひらが宥めるように撫で上げ、恋人に囁くような甘い声が耳に吹き込まれた。





 服を剥がされて、バスルームに押し込まれた。
 二十分ほどしてから、彼が入ってきた。片手に二本のワインボトルをぶら下げている。
「ちゃんときれいにした?」
「…黙れ」
 一本をタイルの上に置き、一本を瓶のまま呷る。風呂に入るのだから当然だが、彼は全裸だった。目のやり場に困って視線を逸らす。何度か彼と身体を合わせたことがあるとは言え、そうまじまじと彼の身体を見たことがあるわけではない。
「入れよ」
 湯を溜めたバスタブを指さされて、言われた通りにする。胸まで身体を沈めたところで、突然、頭からワインをぶちまけられた。おそらく彼の手にしていた一本全て。
「な、」
「はは、血でも浴びたみたいだな」
 大して面白くもなさそうな口調で彼は言った。途端にワインの香りがバスルームに充満して、空気の密度が濃く変わる。
「目、に、しみる」
「そいつア可哀相に」
 目を閉じたままだったが、バスタブに彼が入ってきたのが判った。湯があふれ出しタイルを叩く音がする。腰を掴まれて少し身体を浮かせられ、足を伸ばした彼の膝に、向かい合わせで座らされる。
 やめてくれ、と言いたがる唇を噛んで制した。厭がってなどやらない。そうだ、精々楽しむふりを。
 ワインに濡れた髪を優しく掴まれ、引き寄せられた。瞼に生暖かい彼の舌が触れ、目を閉じていてもしみてくるアルコールを丁寧に拭っていった。まずは右、それから左。瞼の次は額、頬、顎。恐る恐る目を開けると、それを待っていたかのように今度は唇を塞がれる。
「ウ…」
 恐怖を覚えるくらいに優しい、甘い口付け。唇を何度も啄んでから、舌が触れ、ゆっくりと口の中に侵入してくる。
 みじんも強引さはなかったから、それがかえって残酷だった。噎せ返るようなワインの香りに酔いそうになる意識を繋ぎ止めて、応える。逃げてなどやらない。絡め、噛み合い、啜り合う。混じる唾液を、喉を鳴らして飲み込む。奪うように吸う。
 彼の両手が肌を這い、両方の乳首を指の腹で押し潰すように弄った。痛みのない程度に爪を立てて摘み、擽るように上から下へ揺する。
「ん、ッ…」
 厭だった。
 優しく扱われるのは厭だった。イカれた頭で錯覚して、そのあとで落ちる死にたくなるような嫌悪感が厭だった。嫌いなくせに。憎しみしかないくせに。怒りで腑が煮えくりかえっているくせに。
 優しくすれば傷つくなんて、考えれば酷い仕打ち。
「アア…」
「愛しているよ…大好きだ」
 手慣れた彼の指先に、それでも身体はあさましく反応した。口付けの合間に思わず声を洩らすと、彼の唇が触れてきたときと同じようにそっと離れ、どんな悪罵よりも確実に心を抉る嘘まみれの愛を吐く。
「…っ、く、た、ばれッ」
 首筋を舐められ、乳首を吸われ、重く凝るような快感が腰から溜まっていく。どうしても震える肌を止められずに、目の前にある彼の逞しい肩に両手でしがみついて、掠れる声で言う。
 ただ、その目に映ってみたかった。強い光を宿してみたかった。
 ただ、彼の内側にあるものに触れてみたかった。中に入れて欲しかった。
 血を吐くまで陵辱されるなら良い。けれど、こんなふうにされるのは厭だ。
 悪いのは私? これじゃあいつまで経ってもあんたの奴隷。
 偽りの愛の言葉と気紛れな愛の仕草に、魂を握り潰されてくっきりと惨い手形が残る。
「チリワインはやっぱり美味いな。来て良かった」
 肌を覆うアルコールと混じり合わせるようにわざとらしく唾液を塗りつけながら、ちっとも良かったなどとは思っていない声で彼が言った。左右の乳首を嬲る合間に体中の傷跡に口付ける。
「は、アッ」
 焦らしも、急ぎもしない指が、湯の中で、性器と後孔に同時に触れてきた。まるで普通の愛撫だ、恋人達が交わすような。
 片手の指を一本ゆっくりと挿入され、彼の膝の上に乗った身体が思わず跳ねる。
「ああ、ン!」
「あんまり色っぽい声出すな」鎖骨の上あたりに軽く歯を立ててから、彼が面白そうに言った。「この国はカトリックだぜ。踏み込まれたら現行犯だ、あんまり愉快じゃないと思うがねえ」
「ッ、く…ア、」
 言い返そうとするが、飲み込まされた指を蠢かされて言葉にならない。
 彼の手付きは泣きたくなるくらいに優しかった。加減した強さで性器を擦り上げながら、後孔に突き立てた指先で、彼も知る弱い部分を念入りに刺激してくる。時々捻るように指が曲げられ、確実に筋肉を解す。時間をかけて二本目の指が入ってくる。
「あ、ヤ…っ、は、あ」
 しがみついた肩に爪を立て、悲鳴を耐えても、抑えきれない声が溢れた。
「キリ…コッ、ア」
「愛しているよ。とても可愛い。好きだ。世界で一番大事だ。おまえだけだ、食っちまいてえ。愛しているよ、クロオ先生」
「ハア…ッ、厭、だ…!」
 感情のこもらない言葉の羅列を何度も首筋に囁かれてまともな神経が麻痺してくる。
 念入りに探り出される、誤魔化しようのない快感。愛シテイル? 誰が、誰を。
 決して無理のない慎重さでじっくりと慣らされ、大きな手に握り込まれた性器が解放を欲して震えた。それを察した彼の指が、最後に宥めるように先端に触れて、離れた。同時に、後ろに食い込んでいた指も。
「ふ、」
「立って」
 殆ど聞いたことのないような穏やかな声に促されて、従おうとした。力が入らずに、膝から崩れようとする腰を抱かれ、体の向きを変えられる。
「ほら、ちゃんと立つ。手を付いて」
「ク、」
 バスタブの縁に両手をつき、彼に向かって腰を突き出す露骨な格好を取らされる。羞恥に目眩がしたが、抗うのは見苦しいし無駄だ。
 ワインに染まった揺れる湯を、視線が定まらない目で見つめ、男の手を待つあさましい身体。
 別に、誰でもってわけじゃない。
 ねえ。別に誰でもいいってわけじゃないんだ。
「アッ!」
 と、不意に、つい先程まで彼の指を飲み込んでいた場所に、冷たく硬い感触が食い込んだ。
「な、に…やめっ、」
「美味いぜ。おまえも飲めよ」
 それが何かはすぐに察しがついた。一本残っていたワインボトルの口。
 思わず逃げようとした腰を彼の片手に強く掴まれ、抗おうとしても身動きが取れない。
「よせ、バカ…ッ」
「大丈夫だよこれくらい。力抜けって」
 今までの優しい手つきを一瞬で裏切るように、彼は強引にビンのネックを捻じ込んできた。指とは違う無機質な感覚に押し広げられ、バスタブの中に立った両足に震えが走る。
 途中まで一気に埋めてしまうと、今度は角度を変えて、ボトルの中身を注ぎ込まれた。
「ヒ…、あ、あっ、ヤ…!」
 熱く熟した肉に直接冷えた液体を流し込まれる感触に、身体中鳥肌が立った。反射的に突っ込まれたビンを締め付けるが、その動きにつられて余計にワインが内部へ容赦なく入ってくる。
「厭、だ…、キリコ…ッ」
「もっと飲めよ。出来るだろ?」
「で、きる、か…っ、」
「すぐに気持ちよくなる。我慢しろ、愛しているから」
 手酷いことをしながら手酷い言葉を吐く、低い声。
 いい加減ワインを注ぎ込んでしまうと、それ以上苛みはせずにビンは抜かれた。アルコールを飲まされた粘膜は、最初の一瞬の冷たさを過ぎると、次は火をつけたように熱く火照りだした。
 がたがたと震えながら必死で耐える。力を込めていないとだらしなく流れ出てしまいそうだったが、下手に力を込めすぎても同じように垂れ流してしまいそう。
「ふ、ウ…。あ、…ッ」
 しばらくすると、その部分から全身に、まるで毒が回るように熱が広がっていくのが判った。傷口に爪を立てられるような、そのまま強く引き裂かれるような、それは痛いほどの快楽だった。外側からも内側からもワインの強い香りに侵されて、意識が薄まる。ただ感触だけが鮮烈になる。
 きつく閉じた瞼の裏の視界が、赤く染まる。
「こっちから飲んでも酔うのかねえ」
 からかうような彼の声が背中に聞こえ、それと同時に、彼に向かって突き出した尻にひやりと冷たいものが垂らされた。
 のろのろと肌を下り、アルコールを含まされて震える秘所を通り過ぎ、敏感な部分を辿って性器にまで流れる。
 シャンプーか。この男、やりたい放題やってくれる。
「もう少し高く腰上げて」
 後ろから、そのシャンプーに濡れた性器に彼の手が伸び、ぎゅっと握り込まれた。過ぎる快感に炙られていた身体には強すぎた刺激に、思わず跳ねる腰を、性器を掴んだ片手で乱暴に高く持ち上げられる。
 挿入はいきなりだった。
 多分彼の性器にもシャンプーがなすりつけられていたのだろう、ぬるぬるとぬめる液体の所為で少しの抵抗も出来ず、最初の大き過ぎる違和感を感じたと思ったらそのまま一息に根元まで打ち込まれた。
「アアアッ!」
 悲鳴を抑えることは出来なかった。抑えようという意識さえ浮かばなかった。
 太く、硬い肉棒を突き立てられ、溢れ出したワインが太腿を伝って落ちる。アルコールを飲まされて過敏になった粘膜を、直接男の性器で擦り上げられて、気が違うほどの快楽が爪先から脳髄までを焼いた。
「ウ、あ…ッ」
「ちょっとしみるな、これ。ああ、でも、悪くない」
 ぎりぎりまで捩じ込んだ腰を確かめるように軽く揺すって、彼が背中に呟いた。言葉を返せる状況ではなかった。喉を引きつらせ、いつのまにか彼の両手で捕まえられていた腰を逃がすことも出来ずに、ただ串刺しにされて震えている。彼のその手がなかったら、まともに立っていられたとは思えない。
 慣れるだけの余裕も与えずに、彼の肉棒はずるずると引き出され、また勢い良く沈んだ。
 呼吸もままならない唇から勝手に悲鳴が撒き散らされた。
「ああっ、や、アッ!」
「…愛しているよ」
 バスタブの縁に爪を立てて衝撃に耐える頭上から、彼の笑みを含んだ声が聞こえる。
「愛しているよ、なあ、クロオ先生? おまえもおれを愛しているんだよなあ、好きでたまらないんだよな、だから、気を引くようなことばかりしちまうんだよな?」
「ア、 ん…っ」
「さあ、楽しめよ。天邪鬼な男には、お仕置きだ」
「あ…!」
 爛れたように酔った内壁を、張り出した先端が擦り上げていく。
 掠れた声を上げ、されるがままに揺さぶられながら、少しの真実もない愛の言葉に震え、あとはもう、ただ彼の用意した残酷な報復に、堕ちていくしかすべはない。





 激しく叩きつけられて、高く喘ぐ。
 深くじっくりと掻き回されて、啜り泣く。
 弱い部分を繰り返し突き込まれて、声も出せずに戦慄く。
 彼は執拗だった。
 高みに追い上げられ、息が整う間もなく更に責め立てられる。最早苦痛に近い快感に溺れる身体へ、熱が冷めて思い出したらきっと舌を噛みたくなるくらいに情熱的な甘い言葉を囁く。何度も、繰り返し、染み付くように。
 愛しているよ。愛しているよ。タマラネエな、おまえが好きだ。
 ああ、大好きだ。殺してやりたいほどだ。大好きだ。このまま一緒にいよう。
 いつまでも、いつまでも、いつまでも。欲しいだけおれをおまえにくれてやる。
 愛しているよ。愛しているよ。愛しているよ。

 厭だ。

 仕方がない、それは全て自業自得。
 愛の言葉で傷つけるなんて、考えれば酷い仕打ち。

 立ったまま、一度、奥深くに注ぎ込まれた。
 その間に二度達していたが、彼はそれで許す気などは勿論ないようだった。
 バスタブの縁に腰掛けた彼の上に後ろ向きに座らされ、左右に大きく開いた両足を背中から伸びた彼の腕に、膝裏をすくうように持ち上げられる。自分ではどうにもならない姿勢で挿入され、上下に揺さぶられる。動力のない人形みたいに。
 乱れる呼吸の合間に、掠れた声で何度か許しを請うたが、聞き届けられはしなかった。
 無駄な悪態を吐きもした。返事は耳元に吹き込まれる乾いた低い笑い声。
 この体勢で、既に一回自分だけいかされた。
「も…、ヤメ、ロ…ッ、この、ヘンタイ…!」
「変態で結構だが、それに付き合うおまえも相当変態だな、こんなにぐちゃぐちゃにして。気持ちいいんだろう?」
「ああッ!」
 一度抜けるほど持ち上げられた身体を、彼の肉棒の上に勢いよく落とされる。深く穿たれて悲鳴を上げる。もう何度目かも判らない。
 彼と繋がるその部分は、注ぎ込まれたワインと精液を垂れ流しながら、掻き乱されるたびに卑猥な音を立てた。彼の上でぬるぬると滑る感触は、塗り込まれたシャンプーが泡立っているから。死んでも自分の目では見たくない光景だ。
 深く埋め込まれた身体を前後に揺すられ、喉の奥で呻く。
 かと思えばまた上下させられ、喚く。彼の胸に背をすりつけるように上半身を仰け反らせて。
 肩に彼のひんやりとした髪が触れ、そのまま首筋を強く噛まれた。
「ン、あ…っ」
「後悔しているかい? クロオ先生」もう彼の意図を聞き分ける余裕もない耳元に優しい声。「おまえがおれを理解しないならそれでいい。信じなくても構わない。そりゃあ仕方ない。だが、誤解されると腹が立つ」
「あ、」
「ただおまえはおれに待てと言えばよかったんだ。馬鹿だなあ、クロオ先生。後悔しているかい? 実を言うとおれはえらく傷ついた。これからも同じようなことをするつもりなら、おれは何度でも、どんな手を使ってでも、おまえに同じだけの傷をつけに来るぜ」
「も…う、許、せ…ッ、ア、」
 下から強く突き上げられて、差し迫る快感に耐えきれずに哀願した。仰のく顔を濡らすのが、涙なのか酒なのかすら今となっては判らない。
「許して欲しい?」
 噛まれた肌に唇が触れる感触。
 思わずがくがくと頷く。
「じゃあ、ごめんなさいって、言え」
 生温い舌が、這う感触。
「…め、んな、…さ、…ッ」
「聞こえない」
「ン…っ、ごめ…ん、な、さ、い…!」
 自分が何を言っているのかも、もうよく判らない。
 震える唇で無理やり言葉を紡ぐと、彼の右手が膝の裏から離れた。ようやく開放された片足を下ろす間もなく、その手は、そのまま太腿の裏を通って硬く立ち上がった性器を無造作に掴んだ。
「ウ、ああっ」
「しようがないな。おれはお優しいから、泣いて謝る子をそうも苛められない」
「は…アッ」
 左足を持ち上げていた彼の左手が、太腿の付け根のほうに移動した。ぐっと腰を引き寄せられ、ますます深く埋め込まれる彼の性器に悲鳴を上げる。
 その位置で、ゆっくりと、廻すように腰を動かされた。掴んだ右手に性器を擦り上げられながら。
「ああ、あ、」
「いけよ。めいっぱい締めてくれ、おれが一緒にいけるように」
「ン…、も、ア…ッ!」
 ひとたまりもなかった。
 自分の性器を握り締めて上下に動く彼の腕に爪を立て、彼の肩に後頭部を押し付けて、襲い来る快楽に身を委ねた。逃げられるはずもなかった。一瞬気が遠くなるような激しい衝撃。後孔の筋肉が引き攣れ、びくびくと痙攣しながら彼の肉棒を絞り上げるあまりにリアルな感触に目が眩む。
 彼の体温に、頭から爪先まで犯される。
「アア…!」
「ッ、」
 背中に触れる彼の身体が僅かに身じろぎ、咥えこんだ性器が奥深くにどくどくと精液を注ぎ込むのが判った。呼吸さえ忘れてただ感じていた。充満し、飲み込みきれない熱い体液が繋がり合う境目から溢れ出す。
「ア…、キリ、コ」
「…ふう。」
 腰を二、三度揺すって、彼は最後までたっぷりと吐き出した。それから、耳元に、軽い溜息を吹きかけると、まるで遊び飽きた玩具を捨てるみたいに、あっさりと身体を離した。
「あ、」
 肩を掴まれ、放り出すように彼の膝の上から追い払われる。思わず両手と両膝を突いてバスタブに崩れた背中の上から、最後に、全く感情のこもらない言葉を吐きかけられた。
「愛しているよ、クロオ先生」
「…っ」
 駄目押し。
 言い返すことも出来なかった。呪詛さえ洩れなかった。彼は悠々とシャワーを使って汚れた身体を洗い流すと、それきり一言も口をきかずにバスルームから出ていった。
 愛しているよ。
 愛しているよ。
 ドアの閉まる音に、不意に少し気味が悪いくらいの鮮やかさで、力が抜ける。
 いつのまにか寒気がするほどに冷えていた湯に身体を浸して、のろのろと膝を抱えた。散々開かされた後孔から、思い出したように何かが流れ出た。
 酒だか精液だか判りやしない。いずれただの汚らしい欲の跡。
「は、」
 そうして、体温より冷たいくらいのワインが混じった湯に身体を沈めていると、溜まっていた快楽の重さが、鬱陶しく肌を引っかきながら、ゆっくりと溶けていくのが判った。
 噛み締めていた唇が緩み、思わず笑いが零れる。
 愛しているよ。
 愛しているよ。
 愛しているよ、黒男先生。
「……おれも、愛しているよ、キリコ先生」
 頬に張り付いた髪からアルコールが肌に伝う。身体中からワインと彼の匂いがする。
 ねえ。
 ただ、たまには後を追われてみたかっただけ。
 たまには本気になって欲しかっただけ。
 酷いじゃない。そう思うことすらあんたは許さないの。
「…バカヤロウ」
 両腕で抱いた膝に顔を伏せて呟く。

 愛しているよ。愛しているよ。タマラネエな、おまえが好きだ。

 ああ、大好きだ。殺してやりたいほどだ。大好きだ。このまま一緒にいよう。

「…バカヤロウ」

 確かにあんたは私がどうすれば一番傷つくか、良く知っている。
 大したもんだね。
 悪いのは私。
 ねえ、次に会うときは、あんたは私をその目に映してくれるのかな。



(了)