原型

 女の甘い匂いがする。
 それなのに目を開けると見慣れた銀髪。見慣れた肌の色。
 こんな混乱も苦痛も屈辱も、早く通り越してしまえばいいと思う。

 縛られているわけでもないのに抗えない。
 振り払ってベッドを降りて、ついでにあんたを二、三発殴り付けて部屋を出ればいい。
 解っているのに動けない。
 どんなに頑強な拘束よりもその冷たく絡まる視線のほうが、遙かに。

 私はあんたのナグサミモノ。

「どうだい、その先生は使えそう?」
 少し離れた位置からまるで気のない彼の声が聞こえる。
「全く失礼だわ」
 胸のあたりに伏せられていた女の顔が上がる。その、見慣れた瞳の色。
 両脚を割った太腿で股間を刺激する、ふしだらな動きまで何故か彼とそっくりだ。
「この先生、兄さんの声には異常に反応するのに、私には大して反応しないみたいよ。いったい何が気にくわないのかしら」
「しようがないんだよ、ユリ。その先生は、男に抱かれて悦ぶヘンタイだから」
「それじゃ、しようがないわね」
 のしかかる細い女の裸体。形のいい乳房、折れそうな腰。
 女は別に嫌いじゃない。けれど。
 シーツの上で仰向けに、四肢を投げ出した人形。いくらでも抵抗できるはずなのに、彼が動くなと言うから動けない。
 古い縫合の痕に女の舌が這う。ひんやりとした柔らかな長い髪が肌を擽る。
 そんな感触さえ。
「少なくともおれに抱かれて」寝室のドアへ気怠そうに寄りかかり、緩く腕を組んだ彼が言う。一人だけきっちりとダークスーツを着て。「その先生は、ヒイヒイ泣き喚いて悦ぶ。見苦しいほどだ。あまりに哀れだからたまには女を抱かせてやろうと思ったのに、おれの好意もどうやら解ってくれないようだな」
「兄さんには反応するのよ。声にも、視線にも、気配にも。兄さんがこの可哀相な姿をじっくり見て、この情けない有様をたっぷり嘆いてあげれば、ちゃんと勃つんじゃない」
「本当に、何が気にくわないんだろうね」
 少なくともおれに抱かれて。
 泣き喚いて悦ぶ。
 あまりに哀れ。
 脇腹に爪を立てられる。鎖骨に歯が食い込む。目を射る銀色が過ぎる。
 ゆっくりと、ゆっくりと、アタマが混乱を来す。
「同じ髪の色。同じ目の色。同じ肌の色。顔立ちだってよく似てる。何が気にくわないんだろうね? その先生が精々楽しめるように、せっかくおれとそっくりの女を用意してやったのに」
「ウ、」
 柔らかい唇に乳首をきつく吸い上げられた。びくんと身体が跳ねた。
 聞こえる低い声との距離感が握り締めた両手から少しずつ零れ落ちる。
 そうだよ、私はあんたのナグサミモノ。
 声を聞くだけで、視線を感じるだけで、薄汚い悦びに身体を震わせる。
「噛んであげなよ」視界の端で彼が僅かに笑う。唇の端を引き上げた支配者の顔。「その先生は、そうされるのが好きなんだ。ちょっと痛いくらいがいいんだ。愛情を知らないから、そうやって代わりにするんだ。可哀想に、受ける痛みでなにかが測れると勘違いしているんだろ」
「ア!」
 途端に、吸い上げられた乳首に噛み付かれた。過去に何度も繰り返された行為のせいで深い溝になっている神経のラインを、よく知る刺激が走った。
 胸に散る銀髪。覆い被さる白い肌。
 冷たく甘い声。
 誰。
 脇腹を撫で回していた細い指が性器に伸びた。
「もっと見てあげて、兄さん」
 吸い付き、舌先で押し潰し、何度か角度を変えて歯を立ててから、女はゆっくりと顔を上げて薄く笑った。その表情まで。
 唾液で濡れた紅い唇を舐める。違う、これは女。彼じゃない。
 けれど、その瞳は。
「使えそうよ、この先生。ねえ、こっちへ来て、もっとよく見てあげて。もっと辱めてあげて。気持ちよさそうだわ、本当に兄さんが好きなのね、この先生」
「困ったことだね。おれは男をいたぶって楽しむようなヘンタイじゃないのに」
「全くだわ」
 悪い夢。
 組んでいた腕を解き、彼がさも億劫そうにベッドへ歩み寄ってきた。なかなか合わないピントに、ようやく自分が涙を垂れ流していることに気が付いた。
 過敏になった肌で、触れてもいない彼の体温さえ感じそう。
 ベッドサイドでしばらく見下ろしたあと、彼はすっと身体を折り、その片手を頬に伸ばしてきた。
「ッ」
 咄嗟に顔を背ける。
「酷いツラだ」彼の指はそのまま、顔を背けて晒した首筋から耳の裏を通り、ぎゅっと髪を掴んだ。「何をそんなに泣く。おれの優しさに涙が出るか? 女はいいだろ、柔らかくて、綺麗で、細くて、いい匂いで」
「…、」
「そのうえおまえの大好きなおれと、そっくりなんだぜ? 最高だろ。遠慮しないでいいよ、先生。たまには男になったら」
「…死ね…ッ」
 髪を掴んだ手に無理矢理顔を引き戻される。淡い色の瞳と目が合って呼吸が詰まる。
 たまには男になったら。
 精一杯の憎しみを込めてその瞳を睨め付けたときに、性器に生暖かい、濡れた感触が貼り付いた。
 女の舌。
「やめ、」
「感じていろよ。嬉しいだろ?」
 彼が更に身を屈め、顔を近づけてきた。思わず股間に埋まる女の頭を押しのけようと動きかけた腕が、その場でシーツに落ちた。
 彼の舌が、反射的に閉じた瞼に触れた。濡れた睫から、こめかみを辿り、涙を舐め取っていく。
 ゆっくりと、ゆっくりと、アタマが混乱に支配される。
 柔らかく湿った感触が顔と性器を這い回る。
「あ、あ」
 先端を吸われ、否応なく反応させられた性器を、不意打ちのように誰かの指がすっと軽く撫でた。
 これは、彼の指先。
 じゃあこの唇は誰。
 彼のものを咥えたことなら何度でもあるが、彼にされたことは一度たりともなかったはず。
「使えそうだ」
 淡々と言った彼の唇が音を立てて目尻のあたりを啄み、それから指先で強引に、閉じた瞼を引き上げられた。
 なに、と思うより早く、晒け出された眼球に、直に、舌が触れた。
「アア…ッ」
 身動きもできず、勿論目を瞑ることもできず、ただその異様な感触と恐怖に掠れた悲鳴を上げた。硬直した身体が何かの発作でも起こしたみたいにがたがたと激しく震えた。
 食われる。
 犯される。
 気がふれる。
 荒れ狂う戦慄とは裏腹に、性器が硬く勃起しているのが判った。張り出した部分を撫でる指は、裏側を上下に舐める舌は、誰。
 助けてくれ。
「あとで消毒してあげるから」冷たい汗が全身を覆うまで眼球を舌で弄り回してから、ようやく瞼を解放し、彼が言った。それでも固まってしまったように、目を閉じることができなかった。「ユリ。もう使えるんじゃない。この先生を男にしてやってよ」
「ええ、そうね」
 性器から唇を離し、女が腰の上に跨った。先端が濡れた滑らかな感触に飲み込まれ、抗おうとしたが、唇を彼の唇でやや乱暴に塞がれて、引きつった身体は結局動かなかった。
「ン…ッ」
 全く躊躇いのない動きで、根本まで咥え込まれた。肉襞に熱く締め上げられて目眩がした。
 違う。ただ私は。
 低い笑い声さえ洩らしながら、女は実に巧みに腰を振った。
「や、」
 重ねられた唇の隙間へ声だけの抵抗を示すと、それを罰するように口付けは深くなった。
 尖った舌がぬるりと侵入し、口腔内を好き放題舐め回す。煙草の味がする唾液を流し込まれ、吐き出すなんてことも思い付かずに飲み込む。
 シーツに放り出した両手はぶるぶると震えるだけで動かない。
 見開いた目からだらだらと涙が溢れ出るのが判った。
 柔らかく、きつく包み込まれて擦り上げられる誤魔化しようのない快感。唇を合わせたまま突き刺される冷ややかで鋭利な視線と、音を立てて絡み合う舌。
 ただ私は。
 ただ私は、あんたが。
「ア…!」
 彼の指がするりと肌を辿り、女と繋がる性器の付け根を軽く握った。その瞬間に達した。耐えようとか拒もうとか、考える余裕はなかった。
「あーあ、駄目じゃない、先生」
 誘い出した舌を軽く噛んでから、彼の唇が離れた。射精の衝撃に身体中を突っ張らせ、ぎゅっと閉じたその瞼の裏で、彼の眼差しを感じた。
「中に出しちまったの? だらしないね。おまえは中出しされると尻をヒクヒク痙攣させて悦ぶが、女は先生と違って、孕むんだぜ。ユリ、大丈夫」
「産んであげるわよ」
 少しの乱れもない女の声が、笑みさえ含んで言った。
「もし孕んだら、この先生と兄さんの子供を、産んであげるわよ。さぞかし可愛らしい子供が生まれるでしょうね」
「そりゃアいい」
 乱れた呼吸のまま、薄らと目を開けると、女の肩を抱いて額に口付ける彼の姿が見えた。信じられないほど優しい仕草だった。
 そうか、あんたはそうやって。
 胸に付いた腕に少し力を込め、女が腰を浮かせた。ベッドを降りたその身体へ、彼がそっとガウンを着せた。
 銀色の髪を肩に流し、色素の薄い瞳で彼を見る女の横顔は、笑っていた。
 とても嬉しそうに、とても美しく。
「おれとそっくりの女に抱かれて」女の腰に腕を回してドアに向かった彼が、振り向いてこちらを見た。「愉しかったかい? 先生。自分が男だってことを少しは思い出したか? それともやっぱりおれに抱かれて、尻に男のモノを突っ込まれて、女みたいにはしたなく啜り泣いているほうが好きか」
「…」
 涙でぼやけた目には、彼の表情ははっきりとは見えなかった。
 そうだよ、好きだよ。
 だって私はあんたのナグサミモノ。
 あんたと同じ髪、あんたと同じ瞳、あんたと同じ肌、あんたと同じ笑み、それでも。
 それでも、それがあんたじゃないのなら。
「早く起きて、シャワーを浴びなよ。足りないんだったら、そこで一人でやっててもいいけど」
 乾いた口調でそれだけを言うと、彼は女と縺れ合うようにして部屋を出ていった。
 視線をゆっくりと天井に向ける。
 一人きり取り残された部屋で、それでも涙は壊れたように流れ続けた。
 自分が男だってことを。
 それでもやっぱりおれに抱かれて。
 女みたいにはしたなく。

 なにを今更。あんたは知っているじゃない。私がどれだけイカレているかなんて。
 なにを今更。私は知っているじゃない。あんたがどれだけ私を蔑んでいるかなんて。

 ヘンタイだから。
 可哀相に。
 困ったことだね。
 
 ええ、本当に困ったことだわ。
 私はあんたのナグサミモノ。
 だから、早く。
 悲しみも痛みも超えた、何も感じない世界へ、早く。早く。


(了)