例外

 男の身体なんて、好きじゃない。
 女が好きだ。白くて、細くて、滑らかで、柔らかい乳房、私を包む性器、甘い香りと、高い声。
 男の身体なんて、好きじゃない。
 男に抱かれる自分を想像すると、吐き気がする。
 硬い筋肉、強い力で組み伏せられて、厚い身体にのしかかられる。自分と同じ性器に、蹂躙される。気持ちが悪い。不自然だ。私は男に抱かれることなど好きではない。
 必ず後悔する。
 思い出すと寒気がする。
 私に反応する、隆々とした性器を、細部まで私は覚えている。
 気持ちが悪い。どうして、私はあれに触れたり、舐めたり、受け入れたり出来るのか。
 もう二度とごめんだ。もう厭だ。私は男だ。男に抱かれるなんて。
「顔を上げろよ、ブラック・ジャック」
 壁際に追い詰められて、顔の左右に腕を付かれる。背の高い男の視線をすぐ間近に感じる。
 殴るなり蹴るなりすれば逃げられるのかも知れないが、この男相手ではやはり逃げられないかも知れないと思う。
「何をすねているんだ? さあ、顔を上げろよ、先生。おれの好きな赤い瞳を見せてくれ」
「…セックスは厭だ」
 私は俯いたまま言った。髪の毛一筋触れていないのに、すぐそこにある彼の存在が、私の肌に食い込むようだった。
「セックスは厭だ。抱かれたくない」
「何言ってンの? おれとおまえが顔付き合わせて、セックス以外に何をやるってんだよ。抱かれるために大人しく、おまえはおれのところに来たんじゃないの」
「おれは男だ」
 抱かれるために来たのだと、言われてしまえば返す言葉はない。
 私は私がよく判らない。男に抱かれるなんて厭なはずなのに、彼に呼ばれると飼い主に口笛を吹かれた犬のように従ってしまう。
 私は、男に抱かれたいなどと、思ったことはない。
 その肌を、撫で慈しみたいなどとは少しも思わない。男は性欲の対象ではない。私は女ではないし、私は同性愛者でもない。
 それなのに何故。
 彼以外の男ならば、舌を噛み切ってでも、私は拒絶できるはずなのに。
「そんなことは知ってるよ」くく、と、人を小馬鹿にするような笑い声がすぐ傍に聞こえた。「おまえが女に見えるようになったら、そろそろおれもお終いだ。どこから見てもおまえは男だ。そんなことは知ってるよ」
「おれは、男に抱かれる趣味はない」
「おれだって、男を抱く趣味なんぞねエよ」
「…だったらどうして、おまえはおれを抱くんだ」
「そんなことも判らないようじゃ、ママの腹の中から出直したほうがいいんじゃないの」
「…」
 傷を抉るようなことばかり。
 この男は冷たい。冷たいと言うよりも、単純に、意地が悪い。
「顔を上げろよ、先生」
「…」
 私は、こんな男のことなんて。
 彼の言葉を無視して俯いたままでいると、いつまでも言うことを聞かない私に焦れたのか、彼の右手が壁から離れ、私の顎を掴んだ。
 強引に仰のかされた唇に、彼が噛み付いてきた。
 口付けとは言わないのだろう、まるで獣が餌を食らうような。
「は…、」
「暴れるなよ」
 不意を突かれて目を見開いている私に、唇を触れさせたまま低く囁くと、彼は私の唇を、遠慮無く貪り始めた。
 色素の薄い瞳は、じっと私の目を見詰めている。至近距離に耐えられず、私は思わず目を瞑る。
 殴るなり蹴るなりして、逃げ出せばいい。
 私は男と唇を合わせることなど望んではいない。
 それなのに、どうして私の身体は動かない。彼に食われることを望んででもいるかのよう。まさか、私は男を性的対象だとは思っていない、これっぽっちも思ってはいない、何度彼に抱かれようとも、私は男を好きにはならない。
 彼は私の下唇を、執拗に舐め、吸い上げた。いつだったか彼はそこが好きだと私に言った。ぽってりして旨そうなのだそうだ、私には、理解できない。
 私は男だ。
 抵抗も忘れて身体を強張らせていると、ぬるりと彼の舌が唇の隙間から忍び込んできた。
「ん、」
 思わす頸を振って逃げようとした私の顎を、強く掴み直して、彼は尚も舌を深く差し込もうとする。他人の唾液の味がして、未だに慣れない感覚に、私は鳥肌を立てる。
 咄嗟に彼の胸を両手で突いても、彼は勿論、僅かにも身体を引かなかった。
「は、あ」
 判らない、私は、男など好きではないはずなのに。
 ぬるぬると舌を誘われて、厭だ、厭だ、とそればかりを思う頭の芯に靄がかかる。舌の表面をざらざらと擦り合わせてから、裏側を犯され、溢れる唾液を無意識に飲み込んで、私は彼の舌を追う。
 女と交わす口付けのように、溶け合うような儚いものではない。口腔を好き勝手に舐め回す太い舌を食わされて、私はただ男のなすがままに唇を開いている。
 どうして。
 気持ちが悪いだけと、あれほど思っていたのに、私の身体は彼にこうされて、歓びを見付け始める。
 追いかけて僅かに差し出した舌を吸い上げられ、噛み付かれ、私は彼の胸に付いた両手で彼に縋り付いた。
「んんッ」
 喉の奥から声が洩れる。
 彼はなかなか私の舌を解放しなかった。飲み込めない唾液が唇の端から肌に伝い、顎を掴む彼の手を濡らすまで、彼は存分に私の舌を味わった。
 不自然だとは思わないか、気持ち悪くはないのか。
 おまえは男で、私も、男だ。
 この行為は実に喜劇的ではないか。
「おまえの目、蕩けちまったぜ」
 私を胸に縋らせたまま、漸く唇を放した彼が、面白そうに私に言った。
 男に抱かれる趣味はないと言いながら、私は彼の口付けひとつで彼の罠に落ちる。
 解らない。解らない。
 おまえだって、男を抱く趣味はないと、言ったじゃないか。
「キリコ…ッ」
 私は、リボンタイを解く彼の手に、形ばかりの抵抗をした。形ばかりであることは、彼にも、私にも判っていた。
 耳朶を甘く噛まれながら、シャツのボタンを弾かれ、剥き出しになった肌に彼の手が滑る。ぞくりと身体に快楽が湧く。乞食のような私の性欲。
 男とセックスをするのは厭だと、私は言おうと思っていたし、事実、そう言った。そのために彼に言われるがままに彼の部屋に来た。もう終わりにしたかった。思い出すたびに自己嫌悪に呵まれる行為、あってはならない情欲、もう終わりにしたかった。
 しかし、私が本当に彼を拒むと、果たして私は思っていたか。
 思っていなかったに違いない。私は身体を清めて彼を訪れた。矛盾だ。
 来い、ブラック・ジャック。電話越しに何度言われた言葉か。私は彼のその言葉を聞くたびに、深く傷付き、絶望し、そして、欲情したのではないか。私は私が解らない。男の身体なんて好きじゃないんだ。
 男に抱かれる自分なんて好きじゃないんだ。
 彼だってそれはきっとよく知っている。私よりもよく知っているかもしれない。
「キリコ…、厭だ、」
「ああ、ああ、わかっているさ」
 彼は、長身の身体を屈め、壁に背を付けて立っていることしかできない私の首筋に吸い付いた。時々歯を立てて薄い皮膚を噛み、唇で鼓動を数え、鎖骨に舌を這わせる。
 長い銀髪が視界の隅にちらついて、私はたまらずに目を閉じた。私は彼に囚われているようだった。厭なはずなのに、拒めない、どころか求めている。どうして私はここから逃げ出さないんだ。
 シャツをはだけた胸に彼の唇が這い、音を立てて乳首を吸った。
「やめ、」
「硬くなってる。判るか? 自分で触ってみればいい」
「厭だ…」
「ほら、触ってみろよ」
「…畜生、」
 無理矢理片手を取られて、自分の乳首に触れさせられる。彼は、片方の乳首を舐め上げながら、もう片方の乳首を、重ねた私の指ごと揉みしだいた。
 そんな場所は大して感じなかったはずなのに、彼に抱かれるようになってから、私は随分と浅ましくなった。立っていることが辛くなるような、込み上げる快楽が、私の唇から勝手にいやらしい声になって洩れた。
「ん、あ…ッ、は」
「こっちももう勃っちまったか?」
「アッ…」
 彼の手が私の指から離れ、ぎゅっと股間を掴んだ。
 私は咄嗟に彼の銀髪に縋り付き、太腿を擦り合わせてその場に崩れ落ちるのを耐えた。
 どちらが正直なのだろう、男に抱かれる想像に嫌悪感を覚える自分と、彼の手にあっという間に興奮する自分。頭では男を拒んでいるはずなのに、身体が言うことを聞かない。
「おれに抱かれるのは嫌いか?」
 僅かな笑みを含んだ彼の声が、耳鳴りの向こうに聞こえた。濡れた乳首を吐息で愛撫され、震えながら私は答えた。
「男は嫌いだ…」





 壁際に立ったまま、身体中を愛撫された。
 いや、愛撫というのだろうか? よく判らない。ただ彼の手は、指は、唇は、間違いなく私の欲を呼び起こした。
 はだけたシャツ一枚の姿にされ、脇腹に、太腿に、噛み付かれる。
 私は唇を噛んでも殺し切れない声を上げ、彼に応えて汗だくになる。
 立っていることが出来なくなり、床に座り込んだ私の目の前で、彼がゆっくりと自分のベルトを外した。
 焦らす手付きで服をくつろげ、既に反応している逞しい性器を掴み出し、私の唇に押し当てた。
「先生、舐めて」
「…」
「濡らしてくれないと、おまえが辛いぜ、乾いたペニスを尻に突っ込まれるのが好きか」
「…畜生」
 銀色の陰毛に、男の匂い、グロテスクな性器、私はこんなものは好きじゃない。
 好きじゃないはずなのに。
 右手を伸ばして彼の性器を掴み、ぱんと張りつめた先端に舌を這わせた。独り思い出しては気持ちの悪くなるその行為は、いざ彼を目の前にすると、いつも私の理性を麻痺させ、夢中にさせた。
 思い切り口を開いて、太すぎる傘の部分を咥え、強く吸いながら幹を手で擦り上げる。私を見下ろしている彼には、私が好き者に見えるだろう、必死になって性器に食らい付き、これで犯されるために唾液を塗す。
 先端を濡らしてから、顔を傾け、たっぷりと唾液を乗せた舌を出して幹を舐める。こうすることが、私は好きなのだろうか、跪いた私の身体は、持ち主の意思を無視して、益々熱く火照り出す。
「たくさん濡らしてね。そのままおまえに入れたい気分だから」
「は…」
 おまえに入れたい。
 ぞくりと、その言葉に肌が震える。
 解らない、解らない、何故私はこの男に抱かれるのか、この男に抱かれたいのか?
 息を乱しながら彼の性器をしゃぶり、滴るほどに唾液を塗り付けてしまうと、彼の手が私の腕を掴み、快楽で重い身体を引っ張り上げた。壁に両手を付くように指示され、少し強引に身体の向きを変えさせられる。
「キリコ…」
「尻を突き出せよ。手の位置、もう少し低いほうがいい」
「無理、だ、こんなの…」
「つま先立って、尻をもっと高く。入らねえぜ」
「あ、待てッ」
「力抜いてろ…」
「ああ、あ、あ」
 ぬるりと濡れた先端を尻の狭間に感じたときには、もう逃げられなかった。そのままぐっと力を込められ、彼の性器を知っている私の後孔は、慣らされもしないまま、食い込む彼を受け入れた。
「痛…、キリコ…ッ」
「ぐだぐだくだらねえこと言うから悪いんじゃねえ? いい子にしてろ」
「ああっ、やめ、あっ、あっ」
 引き裂かれる衝撃は、痛みなのだか快楽なのだか、もうよく判らない。
 彼の両手に尻を掴まれ、肉を左右に開かれて、ず、ず、と太い肉棒が、深く沈んでくる。
「は…、あ、ああ、」
「力抜けっての。切れるぜ。今更怖がるなよ、おまえのここは、おれを何度も食らっているだろ」
「あッ、太、い…ッ」
「気持ちいいだろ?」
「ああッ!」
 じりじりとゆっくり、途中まで侵入すると、一呼吸置いて、彼はそこから一気に根元まで性器を打ち込んだ。私は悲鳴を上げて、両手を付いた壁を掻きむしった。
 膝から崩れ落ちようにも、尻にずっぷりと埋められた肉棒の所為で、身動きひとつ出来ない。まさに串刺しにされたような感覚、身体の一部で繋がって、彼に完璧に所有されたような。
「動くぜ」
「ヒ、や…、は…ッ」
 彼はがっしりと私の腰を掴むと、誤魔化しも何もなく、単純な動きで私を穿ち始めた。
 いつもならば丁寧に解され濡らされてから貫かれる場所が、彼に塗した私の唾液だけを潤滑剤に擦り上げられて、内壁が引きずられるような、知らない感触に私は犯され戦慄いた。
 強すぎる刺激に、まともに声も出ない。
 それでも彼は一切気にせず、いつもの通りに、大きな振り幅で私を抉る。抜けるほどに引いて、思い切り奥まで突く。
 頭の中まで、ぐちゃぐちゃに掻き回されるみたい。
「キ、リコ…ッ」
「おまえが、男に抱かれるのが好きか嫌いかなんて、おれには関係ねえ」
 暫くは力強く同じリズムで私を突き上げてから、今度は根元まで埋めた位置で小刻みに振動を伝えられる。
 涙も唾液も汚らしく床に垂らしながら、私はただ尻を差し出して、その動きを貪欲に飲み込んでいる。
「おれに関係があるとしたら、おまえがおれに抱かれるのが好きかどうかくらいだね」
「は…ッ、ああ、あ…、ンッ」
「そこいらの男とひとくくりにしないでくれる? おれだっておまえは例外なんだから」
「い…、あ、」
 例外。
 言葉が頭の中で意味を結ばない。
 例外。例外。それは、私がこの行為に酔い溺れる理由なのか。
 解らない。
 小刻みな動きから、急に腰を揺すり上げる動きに変えられて、私は泣き声のような喘ぎを洩らした。太腿から脹ら脛が突っ張って、かたかたと震えている。久々に男を受け入れる刺激は、とうに許容値を超えている。
 私は男に抱かれるのは嫌いだ。
 私は男に抱かれるのは大嫌いだ。
 それなのに彼の前ではいとも簡単に屈服してしまう。私は一体何を望んでいるのか。私の身体は、心は、どうなっているのか。
「さあ、どうして欲しい。気持ちいいだろう? ブラック・ジャック先生」
「いい…、気持ち、いい…ッ」
「どうして欲しいか言えよ、いつになっても解らない、頭の悪い先生様よ」
「…て、突い、て、いかせて、くれよ…ッ」
「そういうことは素直に言えるのにねえ」
「ああ!」
 内壁を拡げるように、円を描いて蠢いていた男根が、最初と同じように、勢いよく尻を突き上げ始めた。
 密着した肉を、激しく擦られ、最奥にぶつけられる衝撃、身に滾る熱をどう散らしていいのかも判らず、私は汗に濡れた髪を振り乱して、恐怖のような快楽に犯された。
 腰に彼の指が食い込む痛みさえ、今や痛みを越えた悦び。
 ああ、助けて欲しい、助けて欲しい。私は好きではないはずなのだ。私は忌み嫌っているはずなのだ。男と媾うなんて気持ちが悪いだけだ。私は誰の前にも私を保っていたいのだ、男に尻を突かれて愉悦に泣き喚くなんて、狂気の沙汰だ。
 私は男の身体なんて好きじゃない。
 男に抱かれたって嬉しくも何ともない。
 例外。
 例外とは何か。
「キリコ…、も、いく…ッ」
「いいよ、いっちまえよ。思い切り締め上げてくれ」
「キリコ…ッ、あああ、あ、あ…!」
「いいね、食いちぎられそうだぜ」
 腰を掴んでいた彼の片手が前に伸びて、私の性器を軽く掴んだ。その瞬間に、私は彼の手に射精していた。深々と突き刺された彼の肉棒を飲み込んで。
 耳鳴りが酷くなって、彼の声も聞こえない。
 尻からつま先までが痛いほどに引きつれて、痙攣しているのが判る。
「ん…、あ、ああ…、」
 絞り上げるようにゆっくりと性器を揉む彼の手に、快楽の波が次々に被さり、私を容赦なく連れ去っていく。私はひくひくと震える身体を無防備に彼に差し出し、あからさまな愉悦の印を彼に見せ付けている。
 気持ちいいだろう? ブラック・ジャック先生。
 ああ、気持ちがいい、気持ちがいい、気が触れそうだ。
 思い出しては後悔すると知っているのに、私はおまえに抱かれたい。
 どうか教えてくれないか。
 どうか教えてくれないか。
 私は何故、おまえに抱かれるのか。
 例外とは何か。

(了)