呼び出されたホテルの部屋へ行くと、彼はダブルベットの上、仰向けに寝転がって、一人薄笑みを浮かべていた。
私は一瞬、彼はとうとう気が触れたのかと思った。
乱れた髪、虚ろな赤い瞳、投げ出された両手の指は細かく震えている。
何よりその格好が。
「遅いじゃないか、ドクター・キリコ。突っ立ってないで、酒でも飲めよ、ウイスキーなら開いているぜ」
「…」
私は、返す言葉に詰まった。
濃い群青色に、目に眩しい真っ白な百合の柄、帯は芥子色、彼は、どういう訳か、女物の浴衣を着ていた。
彼は決して大柄な方ではないが、袖も裾も流石に少し短い。オフホワイトのシーツの上で、彼は明らかに浮いていた。
冗談にしては、悪趣味に過ぎる。
「こっちに来いよ」
さらりと向けられた目の縁が、仄かに紅い。
無言で歩み寄ると、彼は唇の笑みを深め、投げ出していた脚の片方を僅かに立てて見せた。女物の浴衣の裾が割れて、濃い群青色の隙間から、縫合痕に覆われた素肌がちらりと覗く。
印象は滑稽で、非常に倒錯的で、何故か、切羽詰まっていた。
私はベッドのすぐ横に突っ立ったまま、彼を見下ろした。
彼は時々、壊れる。
決して脆弱なほうではないけれど、時々壊れている。私以外の他人の前で、その姿を見せることがあるのかどうだか知らないが、発狂も出来ない理性を憎むように、無理矢理壊れていることがある。
今のような目付きをして。
「なあ、キリコ」すっと伸ばされた腕の青白さが、群青色に咲く白百合に似て、妙に眩しかった。「おまえ最近、女と寝たか? どうやって女を抱くんだ? 試しに女を抱くように、ちょっとおれを抱いてみろよ」
「…」
差し出された腕を掴み、身を屈めて軽く唇を吸う。彼の唇はいつもより少し冷たくて、死人のようだった。
唇を放すときに、ふわりと女の香りが漂った。
多分彼の着ている浴衣に染み付いたもの。
確かに知っている匂いだった。と言って、よく知っているわけでもないが。
「死んだのか? あの女」
腕を放さずに訊くと、彼はにやにやと薄気味悪く笑った。
「ブラック・ジャック、死んだのか? あの女」
「死んだと言うより、殺したんだろう、おれが」
「形見か」
「おまえに惚れていたのだろうと思うのだよ」
解放した腕を無意識のように私の身体に伸ばして、彼はにやにやと笑いながら言った。滑稽を通り越して、彼はなんだか痛々しかった。理性を繋ぎ止めようとしているみたいな、切り離そうとしているみたいな。
スーツの上から彼の指が私の股間に触れ、露骨な動きで私を弄った。
「あの女は、楽に死にたかったのさ、天使のような銀髪の死神に連れて行って欲しかったのさ、引き止めたおれは野暮だろう、そのうえ結局殺しちまった」
「…寿命だよ」
「なあ、キリコ、どう思うかね、病床で見る死神は、さぞかし美しかろう」
彼の手に好きなようにさせたまま、靴も脱がずに、シーツの上、片膝で彼の両脚を割ってベッドに乗る。左肘に体重を預け、右手で彼の長い前髪を掻き上げると、赤い瞳と間近に目が合った。
静謐の中に潜む狂気の欠片。
本当に気が触れてしまえば、それほど楽なことはない。
「一度くらいは抱かれたかったろうと思うのさ」
「男に抱かれたいんだったら、おまえが腹さばいただけで充分じゃないの」
「あの女、最後までおまえの名前を呼んでいたぜ」
「無事に死ねたんだから満足だろ」
「死姦よりはマシじゃないか?」
噛み合わない言葉。
私は時々、彼を哀れに思うときがある。
真っ黒い星のように、光をも飲み込む彼のエネルギーは莫大で、不用意に近付くと頭から食われそう。だが、その星は今にも燃え尽きそうに、危うく見えるときがある。
身に溜め込んだ塵芥を、吐き出す穴はあるのだろうか。
捕らえて檻に閉じ込めて、餌だけやって飼ってやれば、彼は少しは楽に生きるか、いや、たちまち弱って死んでしまうに違いない。
実に扱いにくい生き物だ、手酷い傷を負っていても、野性でないと生きられない、ぬるい水では生きられない。
それでも不意にその傷を、癒してくれと見せられれば、私に拒む理由はない、見たいとまでは思わないが。
「女を抱くように抱けばいいのか?」
「口紅でも引いてやろうか」
「やる気が失せるぜ」
冷たい唇に口付けながら、浴衣越しの肌を撫で上げる。肩、腕、とても女のようには思えない、しなやかな筋肉と、しっかりとした骨格。
袖から素肌に指を滑り込ませ、彼の手触りを確かめる。彼に触れるのは久し振りだった、互いに餓えるには年を取りすぎていたし、相手が彼或いは私である必要もなかった。
触れた彼の肌は、確かに少し震えていた。
この姿を見せるのが、私だけであれとまでは思わないが、彼が選ぶのが私であるのならば、それはそれで良いだろう。
私は優しい男ではない。
彼が選ぶのが私であろうと無かろうと、それは彼の勝手だけれど、私は、金を積まれない限り、他人の傷を見たいとも思わない。
彼以外の他人であるならば。
彼の唇に舌を差し入れると、彼は心底それを待っていたかのように、すぐに私の舌に舌を絡み付かせ、唾液を啜った。
冷たい唇とは対照的に、彼の舌は熱かった。
貪欲な動きで、彼はしつこく私を求め食い付いた。
「は…」
「別におまえ、やりたくなんか無いんだろ? ブラック・ジャック先生よ」
「やりてエから…呼んだんだ」
「餞にしてはセンスがないな」
「おまえは…ただおれを抱けば良いんだよ…ッ」
獣じみた口付けの間、きつく閉じられていた瞼が上がり、睨み付けるような赤い瞳が私を見た。私の股間を撫で回していた手が、反応しかけていた私の性器をぐっと握り込み、私を籠絡しようと擦り上げてくる。
罪悪感とやらは、それほどに重たいか?
既に乱れていた浴衣の襟に手を差し入れ、少し乱暴に左右に開いた。派手な縫合痕の散る胸をてのひらで摩り、血の気のない肌に熱がこもるのを確かめながら、尖りはじめる乳首を時々弾いて、洩れる声を聞く。
「あ…」
「おれはあの女のことなんざ、これっぽっちも気にしちゃいない、冷血だからな」
「キリコ、」
「別にそれほど金に困ってもいないしな、患者を盗んでいくのは、おまえ、いつものことじゃないか」
「…んッ、は」
「人間、死んじまえばそれで終わりだ、今更何をやったって、死んだ女には関係ないぜ、それでもおまえがやれってならやるけどね」
「アッ」
女のものとは全く違う、小さな乳首を爪の先で強く引っ掻く。彼は私の手の中、悩ましく身をよじらせると、私の股間を弄っていた指を不器用に服のベルトにかけた。
群青色に咲く白百合が、場違いに鮮やかで、目に痛い。
「脱げよ…キリコ」
「…強情な男だ」
真っ白な頸にひとつ口付けを落として、身を起こす。
甘くて苦い後悔は、自己満足、彼を酔わせるほどのものではない。
芥子色の帯を解いて、浴衣ははだけただけ、白い肌を散々に撫で回すと、彼は泣き出す寸前のような声で喘いだ。
意識的になのか無意識なのか、その反応はいつもよりは露骨で、確かに女のようでもあった。
狂っているとは思わない。
最初に一瞬そう感じたように、いっそ、本当に気が触れてしまえばいいのに。
女物の浴衣に、明らかな男の身体、きちがいじみてはいるけれど、二人嫌味なほどに冷静だった。彼は、冷静である自分を引きちぎるように、全身で私の指に、唇に応え、汗だくになった。私は単純に、冷めた。
肉欲だけが浮いている。
そうだ、私達の関係は、肉欲であれそれ以外であれ、はじめから慰め合うだけ、奪い合うには年を取りすぎていたし、勿論、相手が彼或いは私である必要はなかった。私は時々壊れた彼を哀れみの目で見、彼もおそらくは時々は壊れる私を哀れみの目で見るのだろう。
私達の関係はその位置から変わったことはなく、今後変わることもない。
与え合える幻想に浸るには、そう、年を取りすぎた。
「キリコ…ッ」
「もっとケツを上げろよ、もっと」
浴衣は着せたまま、彼の身体を俯せにさせ、腰を掴んで膝を立てさせる。彼は私の言う通り、従順に尻を上げ、私の前にその身体を差し出した。
浴衣の裾を捲り上げて、白い尻を剥き出しにする。
彼は頬を枕に押し付けて、荒い息を吐いた。
言葉だけでは救えない、かといってどんな行為でも救えない、何か。
「上手に開いてくれよ、判るだろ?」
「ウ…、」
彼に差し出されたローションをてのひらに取り、そのまま尻の狭間にべったりと塗り付けた。太腿に垂れ落ちる分は構わずに、両手で尻を開き、片方の親指を後孔に突き立てる。
「あっ」
「上手に開けってんだよ、手間かけるなよ」
「…っく、り、」
「これ以上ゆっくり出来るか」
彼の内部は最初だけ、押し出すようにきゅっと閉じていたが、すぐに私の指に慣れて、いやらしく蠢き出した。何度かローションを足して、丁寧に拡げる。彼の尻は何度犯しても、はじめは裂けるほどに固くて、とても私の性器を飲み込めない。
跳ねる呼吸を繰り返す、その肩に白百合が一輪。
これで何かが得られるとでも、或いは捨てられるとでも思っているのか?
「そうだ、そう、上手だ、もう少し開け」
「きつ…い、あ、」
「これできつけりゃ抱いてくれなんて、言わないほうが良いんじゃねエの」
「あ、あ、」
もう片方の親指をゆっくりと差し込み、両の親指で、内側を抉るように刺激する。汗で濡れた髪に、半ば隠れた耳朶が真っ赤になって、彼の呼吸は益々速くなる。
くだらない、そう思う。
死なせた女の服を身に纏って、私に抱かれる、それが彼の考え得る最良の方法だというのなら、くだらない、これ以上くだらないこともない。
彼はそうして一生解決しない疑問を、誤魔化し誤魔化し生きていくのだろうか、私は甘い、付き合ってやる義理もないのに。
私は甘い。誰にでも甘いわけではない。
私は彼に甘い。
彼が傷を私に見せ付けて、そこに泥を塗れと言うなら、塗ってやっても良い。
実にくだらない。
それでも良いか、今更何かを変えられるほど、私達は若くはないのだから。
「も…、キリコ、」
突き刺した両手の親指を左右に開くように、時間をかけて後孔を開き切った頃、彼は荒い呼吸の下で私を呼んだ。
「なに? もう入れて欲しい?」
「…れて、欲しい…ッ」
「きついだ痛いだ言うなよ、おれはそう言う趣味はないからな」
「早、く」
「知ってるか? おまえは相当の我が儘だ」
指を抜き出そうとすると、引き止めるように彼の内部が絡み付いた。構わずに引き抜いたその場所へ、膝立ちになって性器の先端を押し当て、滴るローションを塗すようにぬるぬると撫で回す。
「キリコ…ッ、」
「上手に食らえ」
「アアッ」
狙いを定めて、ぐっと力を込めると、彼の尻が反射的に逃げようとした。両手で腰を掴んでそれを封じ、じりじりと先端を埋め込む。
「ア、アッ」
いっぱいに広がった後孔が、私の性器を飲み込むのを目で確認しながら、張り出した部分までを慎重に埋めた。そこでいったん動きを止め、彼の腰を掴み直し、あとは一気に突き刺した。
「ヒ…!」
根元まで押し込まれ、彼は悲鳴のような声を上げた。
びくびくと締め付けてくる彼の肉壁に、ぞくりと欲が波打ち、私の身の内を濡らした。
この快楽が全てであればいいのに。
他のものなど、霞んでしまえばいいのに。
しっかりと貫いたその位置で、彼が慣れるのを暫く待つ。彼は切れ切れの喘ぎを洩らし、高く掲げた尻を引きつらせ、それでも喘ぎの合間に言った。
「も、っと、キリコ」
「なに? 動いて欲しいの」
「て、欲し…」
「ああ、我が儘だ、せっかく優しくしてやっているのに」
「は…、ン…ッ、」
ぴっちりと張り付くように、私の性器を包み込む内壁を、緩いテンポで穿ち出す。最初のうちはただ締め付けることしかできなかった彼も、徐々に私のペースに合わせて、尻を動かしはじめた。
背中まで捲り上げられた群青色の浴衣に、描かれた白百合が揺れる。
哀れみよりも何故か、ふと息苦しさを覚えて、私は彼の背中で一人、顔を歪める。
染みついた女の匂いより、今ここで愚かな茶番に興じている彼の匂いのほうが、私にははるかに強く感じられた。彼の望みは、自己満足、それ以外ではないけれど、彼は今何処にいるのだろう、ここにいるのは彼か、それとも。
「も…、きたい、いかせ、て、くれ」
少しずつスピードを上げて、彼の内部を擦り上げていると、啜り泣くような声で、彼が私に求めた。
「いいぜ、自分で擦れよ」
「ふ…」
「いいか? ちゃんといけよ」
「ン、…いて、突いて、」
彼は一瞬躊躇ったあと、枕を握りしめていた右手を自分の股間に伸ばし、硬く立ち上がったまま放置されていた性器を掴んで、擦り出した。私は、彼の尻を出入りする自分の性器だけを見ながら、彼の身体を突き上げた。視界にちらつく白百合が、肉欲を置き去りにして、私の意識を冷めさせた。
「アア、ア…!」
彼が達した瞬間は、ちぎれるほどに締め付けてくる、彼の肉壁の動きで判った。私は同時には達さず、彼に勃起した性器をただ突き刺して、その痙攣を味わった。
醜い。
そう思った。
彼は、ぎりぎりと私を締め上げながら、長い絶頂の波に溺れたあと、荒い呼吸が収まるのを待たずに、私に訊いた。
「…なを、…気分に、なるか」
「なに?」
「女を、抱いている気分に、なるか」
「…」
私は視線を白百合に戻し、呆れた口調で言い返した。
「なるかよ。ここにいるのはおまえだよ」
「…そうか」
彼は、感情のこもらない声で呟いた。私が、硬いままの性器を、彼の尻から抜き出すと、彼はくすくすと低い声を上げて、笑い出した。
(了)