私は間違っているのだろうか。他に何が出来るというのか。
「よお、不法侵入者」
ガウン一枚、ベッドへ腹這いになってペーパーバックを眺めていた彼が、私には視線もくれずにそう言った。
夜中、洗い立てなのだろう銀髪には少し水気がある。この男でもそんなものを読むのかと、私は少し意外に思う。
「玄関の鍵が開いてた」
「玄関の鍵が開いていたら、勝手に他人の家に入ってきてもいいのか。その上ベッドルームまでお越しとは、なかなか大胆な犯罪者だ」
「…寝ているかと思った」
「おれが寝ていたら、勝手にベッドルームに侵入してもいいって?」
「…悪かったよ」
「ああ、悪かったな」
小声で詫びると、彼は少し揶揄うような声で答え、それから漸く私を見た。普通、いきなり寝室に踏み込まれたらもっと驚きはしないものか。玄関のドアを閉める音、廊下を歩く足音、出来るだけ消したつもりだったけれど、彼にはそれが私の立てる物音だととうに知れていたのだろう。
まさか今夜私がここに来ることまでは知らなかったろうが。大体私からして予想していなかった。
ベッドサイドにペーパーバックを投げ出した大きな手、彼のその手に、とにかくこのじりじりと頸を絞められるような憂鬱を掬い上げて欲しかった。罪悪感? 違う、そんなものじゃない。色素の薄い瞳にじっと見詰められて、何故か私は狼狽える。
「なんて顔だ」僅かに目を細めて彼は言った。いつもの低くて甘い声、卑怯な私が逃げ帰る場所。「今にも泣き出しそうだ、可哀相な子供みたいだ。そんな顔をそう簡単に、他人に見せるもんじゃないぜ、先生」
「…」
「なにしてる? 突っ立ってないで、早く服を脱げよ」
「…」
「抱かれに来たんじゃないの」
「…」
抱かれに来たんだよ。
頭の中に渦巻く疑問、その答え。私は正しいか? 間違っているか? ああ、間違っているのだろうよ。
それでもそうすることしか私には出来ないんだ、愚かだろうよ、悪魔か鬼だろうよ、もう二度とは還らない温もり、許すことが正しいというのなら、私は間違っていていい。
どうすればいいんだ、どうしようもないんだ、他には知らないんだ、それだけが全てなんだ。
なのにこの、内臓を腐らせるような憂鬱は何。
だから。
彼の目の前で自分から服を脱いでいくのは、何だかとてつもなく卑しい行為のような気がした。だが、仕方がない、勝手に彼の家に上がり込んで、私が抱かれに来たのだから。
ジャケットを落とし、タイを解く。震え、焦る手付きが見苦しいだろうと思う。彼はベッドの上、身体の左側を下にして横たわり、彼に抱かれるために服を脱ぐ惨めな私を眺めていた。手伝うつもりはないらしい。
中途半端に服を脱いだところでその視線に耐え切れなくなり、私は彼に歩み寄って、乱暴に口付けた。唇を合わせたままベルトを抜き、服も下着も靴下も適当に脱ぎ散らかして、仰向けに押し倒した彼の上に全裸でのしかかった。
色気もなく彼の唇に差し入れた私の舌を、あやすように彼の舌が絡め取る。睫が数えられる近さで彼の瞳が私を見詰めている。彼のガウン越しに体温が伝わる。
ああ、解っているさ、だから。
だからあんたのその手で私の濁った憂鬱を。
「震えているな」
視線を合わせたままの口付けの合間、彼は全く感情を込めない声で囁いた。低く、甘く。そういう声を出せる男を、私は彼以外には知らない。
「冷たい。おまえ、凍り付きそうだ」
「…」
「もう凍ってるのか?」
「…暖めろよ」
何があったの、とは訊かない。
そうさ、卑怯なのさ。
唾液の線を残して、下唇に、顎に、頸の柔らかい皮膚に噛み付く。爪を立てて背筋をなぞる、彼の指先に色付いた吐息を洩らす。まるで盛りの付いた猫だと他人事のように思う。或いは必死になって救いを求める、愚者、外道、罪人、私の欲しいものは何処にあるのか、何処かにあるのか。
どうしてこの男は厭がらない。私が可哀相な子供のままだからか。
「ア、」
片腕で彼に被さる腰を引き寄せられ、片手で乳首を探られて、咄嗟に声が出た。反吐が出るほど女々しくて、浅ましい、と思った。摺り合わされる股間、早くして、早くしてと私の全身が言っているみたい。早くあんたの熱で、荒っぽい手付きで、乱暴なまでの行為で、私のこの憂鬱を忘れさせてくれ。
卑怯なのさ。
「凄いね、もう勃ってんの」
「は…」
乳首を弄っていた指をするりと下へ向けられる。慌てて密着していた腰を浮かせたが、かえって彼の手に触って欲しいというようなスペースを作っただけだった。
軽く握られて、頬に血が上るのが判った。顔を隠すように彼の肩に押し付けて、片手で彼のガウンの紐を解き、性器を掴み出した。
「…んた、だって、硬いぜ」
「おれは器用でお優しいのさ。おまえは不器用で淫乱で可哀想で狡い男だ」
「…ったら、拒め、馬鹿…ッ」
「おれはお優しいんだよ、そのうえ趣味が悪くてなあ、おれがいつ、不器用で淫乱で可哀想で狡い男を、抱きたくないと言ったんだ?」
「あっ」
彼の大きな手に性器を擦り上げられて、はしたない喘ぎが洩れた。その手、その手が私に与える快楽、私に与える忘我を、私はよく知っている。その手が欲しくて欲しくてたまらない私をよく知っている。
声を殺すように彼の鎖骨に歯を立てながら、同じように彼の性器を擦る。私の手の中で更に硬さを増す、太くて、熱い、凶悪なまでのもの、これを食らいたい、壊して欲しい、この憂鬱さえ粉々になるくらい。
私は間違っているか。他に何ができるというのか。
間違いを知りながらこの身を悪意に任せる私に罰よ下れ。
片手で互いの股間をひとしきり探り合ったあと、彼は身体を入れかえ、私を仰向けにシーツへ縫い付けた。ああ、お優しい男だ、確かにあんたはお優しい男だ、こんな薄汚れた孤児、さっさと窓から放り出してしまえばいいのに。
先程の、相手を窺うようなものとは違う、荒々しい口付けを落とされた。唇から侵食されるみたいに、舌を喉の奥の方まで差し込まれ、少し噎せながら彼の唾液を飲み込む。それだけで私の肌は表皮を剥がされたように過敏になり、意識が霞む。
熱を持った口腔、羞恥を覚える場所まで舐め回され、強引に誘い出された舌を吸い上げられ噛み付かれ、私は耐えきれずにシーツに身悶えた。鼻から抜ける小さな喘ぎに、嫌悪を感じながら、同時に自分自身が煽られる。
そうだ、そうやって乱暴に、私を貪ってくれ、せめて今だけ、この身に淀む汚泥を見る余裕もないほどに、私を夢中にさせてくれ、私の思考を奪ってくれ。
ねえ、涙が出るくらい、あんたはお優しいね。
長い口付けのあと、彼は私がそうしたように、私の下唇を、顎を、頸の薄い皮膚を噛んだ。そうしながら、太腿の内側を、焦らすように強くゆっくりと撫で回されて、私はシーツを握りしめ、掠れた声で求めた。
「キリコ…ッ、早、く」
「獣だな。もう少し雰囲気を楽しむとか、そういう高等生物なりの戯れはできないわけ」
「下等で…悪かっ、たなッ」
「そんなに辛いか、寒いか、可哀想に」
「…欲情、してんだよ…ッ、早くッ」
「せっかちな先生だ」
僅かに笑みを含んだ声で言われ、かっと顔が熱くなる。お優しい男め、いいんだ、せっかちなんだ、辛いとか寒いとか、そんなのじゃないんだ。
彼の手でぐいと脚を開かされ、反射的に身が竦んだ。男の前で股を開くのは、どうしても慣れない、屈辱的というのとは違うけれど、本当に相手に服従するよう。
私の微かな抗いをあっさり制して、彼はゆっくりと私の尻の狭間に指を這わせた。
「ああ…なんか塗ってきた? ぬるぬるする」
「…」
「準備がいいなあ。そんなにおれに抱かれたいのね」
「…」
抱かれたいんだよ。
勝手に唇が歪んでしまう顔を横に背け、無様に脚を開いて、私はシーツの上で震えていた。彼はほんの少しの間その私を眺めていたようだが、特に待たせはせずに、私に手を伸ばした。
「アアッ」
不意に乳首をきつく噛まれて戦いた、その隙をつくように、いきなり指を奥深くまで押し込まれた。その場所を許す、よく知る感覚に、私の身体にはあっという間に更なる火が点いた。
私が彼と繋がろうとする、愚かな行為、罪を罪で消したがる私は卑怯者。
間違いというのならば、それは一体いつからなのだろう。あの温もり、あの眼差し、溢れ出す愛、私は全てを裏切って凍り付く、そうすることしかできないんだ。
ああ、赦してくれとは言わない、世界中の誰もが私を理解できないと言うのならばそれでいい、ああ、けれどせめてあんただけは私に触れてくれ、その大きな手で私を抱いてくれ、壊して、狂わせてくれ、あんたに溺れさせてくれ。
卑怯だと嘲笑え。
「一体どれだけ入れてきたんだ?」私の尻で指を使いながら、彼が少し面白そうに言った。「おまえの中、ぐちゃぐちゃ、指だけで溢れちまう」
「は…、ンッ」
「柔らかい。いつもはじめはキツイのにな。自分でやってきたの? 自分で拡げてきたんだろ、何処で尻に指突っ込んでたの」
「あ、…く、車…の、中…」
「へえ…。そんなにおれのペニスを早く咥え込みたいのね、待ってらんないのね、判ったよ」
「あっ…」
両脚を抱え上げられ、思わず怯んだ。大した愛撫も受けていないくせにふしだらに火照る身体と、憂鬱の靄が消え切らない頭が、巧くリンクしなかった。
その私の躊躇を唇の端で笑い、彼は、私の望む通りの、甘く、無慈悲な声で囁いた。
「さあ、望み通りに犯してやろう」
例えばこの間違いだらけの軌跡を終わりにする。
例えば両腕を広げ私の外の世界を全て赦し受け入れる。
その途端に私は死ぬ。
生きていたい訳じゃない、死んでしまえばいいのかもしれない、私の海、私の星、私の温もり、私の愛、死んだというなら私はあのときに一度死んだ。
私は間違っている。だが、他に何が出来るというのか。
私は鬼、私は悪魔、死神のようには優しくない。
「無駄だ、おまえのここ、こんなにとろとろだもの、厭がったって入っちまうぜ、せめて力を抜けよ」
「…ウ、」
そう言われても、どうすればいいのか判らない。
身体が勝手に怯えるだけ、抗おうとはしていない。
シーツの上、頭を左右に振って伝えようとする。汗ばんだ髪が、額に、頬に貼り付いて、鬱陶しい。
彼は私のその仕草に、微かに低い笑い声を聞かせると、半端に食い込ませていた性器を、一切の手加減もなく一気に根元まで私の中に突き立てた。
「アアア!」
まさに引き裂かれる感覚、強すぎる刺激はむしろ痛み。
悲鳴を上げ、咄嗟に逃げようとすると、彼は抱えた私の脚を更に折り曲げ、体重をかけるように私を押さえ込んだ。限界まで食い込んだ彼の男根が、より深くまで私の内部を侵し、私は両手でシーツを握りしめながら、掠れた声を洩らした。
「…リ、コ…ッ、深い…、あ、」
「文句を言うなよ、こうして欲しかったんだろう? それとも悦んでいるのかな、賞賛しているのか、アナタのペニスは深くまで届いて気持ちいいわって?」
「はあ…、は…ッ、キリコ…ッ」
「ああ、おまえの尻の中、凄いな、ぐちゃぐちゃで、きゅうきゅう吸い付いてきて、健気で、淫らだ、気持ちいい」
「ああッ」
彼は薄気味悪いほど丁寧に私を抱くときと、手荒に乱暴に私を抱くときがある。その落差は、同じ男に抱かれているとは思えないくらい。
そして大抵の場合、私がそうして欲しいと思うように私を抱く、彼は本当にお優しい、罪を犯す私に逃げ場所を与えてしまう、それは彼の罪。
狭い場所を押し広げられる違和感に、私が慣れるのを待たず、彼は強引に腰を使い出した。私は髪を振り乱し、獣のような声を上げ、その刺激に身を委ねた。そうだ、あんたはお優しい、そうして欲しかったんだ、そうして欲しいんだ、腐って異臭を放つ内臓が破けるほどに、犯して欲しいんだ、壊して欲しいんだ、私を忘れてしまいたいんだ。
ずるずると引き抜かれ、間をおかずに最奥を穿たれる。何度も何度も繰り返されて、硬い性器に擦り上げられる内壁が、厭になるほど過敏になっていく。
所詮私は廃れ者、咎人、卑怯者、男に抱かれて快楽に沈む倒錯者、あんたしかいないんだ、世界中の誰もが私を見捨てても、あんたは。
必死に呼吸を合わせる私を突き放すように、時々動きを乱された。尻に彼の陰毛が触れるくらいにぎりぎりまで組み合わさった腰を、上下に、左右に揺すられて、私は薄汚れた涙を流す。
「ああ、あ…ッ、は…、ン、ああ…」
「いい顔するね」
自分の指で肉を開き、たっぷり注ぎ込んでおいたゲルが、大きすぎる異物を飲み込んで溢れ出し、尻の谷間を伝い落ちていくのが判った。人肌の愛撫、代わりにあんたの体液でそこを一杯にしてくれ、もっともっともっと、正しいも間違いも、善いも悪いもなくなるように、もっともっと。
ああ、あなたがもしも今もこの世に生きていたのなら、私は今ここで彼に抱かれてはいなかった。
欠落と充足、見せかけの飽満、深い穴に染み出す泥水、苦くて甘い、何処まで飲んでも濁ったまま、血の味、穢れた悦びと寂寥、光るナイフを持って暗闇に潜む、よく見れば、錆だらけ、渾身の力で突き刺す、倒れるのは私。
出口のない袋小路、見つけた逃げ場は幻想? 芳しい毒、それでもいいんだ、あんたしかいないんだ、世界中の誰もが私を見捨てても、あんたは私を抱くだろう。
抱いてくれ、捨てないでくれ、せめて私の罪が完結するまでは。
「少しは溶けるかよ」
回すように腰を使いながら、彼は淡々と言った。呼吸の一つも乱れていない、憎たらしいと思うし、そうであって欲しいとも思う。
「おまえの身体は、熱い、おまえは生まれたての子供みたいだ、真っ赤になって、泣き喚く、それなのに祈ることは凍り付くことだけ」
「キ、リコ…ッ、は…、熱、…ける、溶け、る」
「気持ちいいか? 気持ちいいだろうよ、それ以外になにがある、え?」
「い…、気持ち…いい、いい…ッ」
掻き回す動きを再び突く動きに変えられて、抱え上げられた足のつま先がぴんと反り返った。違う角度で激しく抉り上げられ、既に臨界点の間近で波打っていた快楽が一気に身体を駆け上がる。
「アッ、も…、助け…」
「助けて?」
「いく…も、いかせて…いかせ、て、くれ…ッ」
「自分で擦れよ、さあ」
「は、」
本当に飢えた獣、浅ましい行為だとは思ったけれど、操られるように手は勝手に動いた。彼の腹筋に触れ、ぴくぴくともどかしげに震えている性器を両手で掴み、尻を穿つ彼に合わせて擦り上げる。
「あ、いく…いく…ッ」
「いけって。何度でもいかせてやるから、ほら、いけよ」
「や、ああ…ッ!」
ぐっと思い切り深くに男根を押し込まれた。性器を握りしめた両手に力を込め、身体をびくびくと痙攣させて私は射精した。
頭の中が真っ白になった。全身がただの肉の塊になったようだった。肉壁に食い込む太い男根、溢れ出して尻を濡らす生温いゲル、胸と両手を濡らす精液、神経がちぎれるほどの大きすぎる愉悦、恍惚、私に許された、一瞬だけの解放。
ああ、あんただから、あんただけがおれに与える逃避、エクスタシー、あんたが好きだ、あんたが好きだ、きっとこの感情は恋でも愛でもないけれど。
あんたなら。
だけど、あんたでも。
たとえ、あんたでも。
「は…あ、はあ、は…、ッ」
息を乱しながら、ぎゅっと閉じていた瞼を薄く開く。私の両脚を抱え、私を見下ろしている彼と視線が絡む。
そう、あんたでも。
絶頂の余韻で、びくん、びくん、と内部が不規則に彼の性器を締め付ける、それだけでも、一度は堰を切り放出した快楽が、じわじわと敏感になった身体に溜まっていく。
彼と目を合わせたまま、胸に散らかした精液を、濡れた両手で自分の乳首に擦り込んだ。指先で尖った乳首をぬるぬると撫で回し、爪を立て、喘ぎを洩らす。
そうだ、それ以外には何もあるものか、それが全てじゃないか、気持ちいい、気持ちいいさ、あんたの言う通りさ。
そうさ、あんたの嘘を、信じたいんだ、生まれたての子供、ねえ、抱き上げる腕は何処。
「いい眺めだ」
「キリコ…もっと、くれよ…、早、く」
「ああ、ああ、解っているよ、不器用で淫乱で、可哀想で、狡い先生様よ」
「早く…ッ!」
掠れた声で、叫ぶように言った私に、彼は薄く笑って、抱えていた私の脚を下ろした。
それから、シーツと私の背の間に両手を差し込み、繋がったまま、私の上半身を抱き上げた。
「ア!」
向かい合った彼の腰に座らされ、もうこれ以上深くは入らないと思っていた男根に、更に奥を押し拡げられる。自覚もなく鋭い声を上げ、思わず浮かそうとした腰を、彼の両手にがっちりと掴まれた。
そのままぐっと引き寄せられ、同時に下から腰を打ち付けられて、目の前に火花が散る。
「キリコッ、壊、れる…!」
「壊れたいんだろう?」私の好きな、低くて甘い、それでいて感情を覗かせない声が囁いた。「壊されたいんだろう? 何も考えたくないだろう、思考なんて要らないだろう? もっともっと、早く、早く、滅茶苦茶になりたいだろう? ああ、おれは吐き気がするほどお優しい」
「ん…、アア…ッ、ア」
「おれにおまえは救えるかい」
「は…」
彼の言葉が巧く聞き取れない。ただ、低くて、甘くて、フラットで。
彼の両手に腰を上下させられ、正気ではとても聞いていられない声で喚き散らしながら、途切れのない快楽の渦に飲み込まれる。壊して、破いて、引き裂いて、この憂鬱を、この永遠の憂鬱を、この一瞬だけ塗り潰して。
あんたなら。
たとえ、あんたでも。
絶対的な欲望、悦楽、罪を隠す罪。
私は間違っている。しかし、私は他には何も出来ない。
暗く黒く凝り固まった憎悪に私は生かされている。代償の憂鬱、罪悪感? そんなものじゃない。ただ深く、深く、堕ちる、男の腕に縋って、共に引きずり落とす。
私は鬼、復讐の鬼。
だってあなたがここにいない。あなたが見つからない。
おかあさん。
(了)